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2021年05月02日18:55

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宇都宮の餃子・・・

 かつて、宇都宮市は名物のない街でした。
 そうした中で、1990年(平成2年)12月、宇都宮市の職員グループが、
 総務庁統計局の家計調査年報で、
 宇都宮の一世帯当たりの餃子の年間購入金額が日本一を継続している事に着目し、
 餃子の街としてPRする事を提唱しました。
 1993年(平成5年)には、38店舗が加入して「宇都宮餃子会」が発足し、
 10月には、テレビ東京「おまかせ山田商会」で取り上げられ、
 翌年2月には、「餃子像」が出来上がりました。
 この像は2度ほど場所を動かしましたが、現在もJR宇都宮駅前にあります。
 餃子会の会長をしていた「みんみん」の前に行列が出来るようになったのは、
 その少し後の事だと思います。
 みんみんの社長に、近所の人が儲かって笑いが止まらないだろうと言ったらば、
 忙しくて笑う暇がないと言っていたとの話があったのは、
 もう少し後だったかも知れません。

 宇都宮市で、餃子が盛んに食べられるようになった経緯は、
 宇都宮市のHPによると、
 宇都宮市に設置されていた、旧陸軍の第14師団の兵士が中国に出兵し、
 餃子を知り、帰還後に広めたことがきっかけと載っています。
 戦後、宇都宮市内で餃子を提供する店が出来て、
 その中の1店はかなり繁盛していたようなのですが、
 犬か猫の肉を使っているとの悪意のある噂を流され、
 閉店してしまった事もありました。

 上記の「みんみん」が出来たのは、1958年(昭和33年)との事です。
 今のように人気が出る前は、電話で注文すると届けてくれました。
 僕が高校生の時は、試験が終わると友達と映画を観て、
 最後は「みんみん」で餃子を食べて解散と言うのが定番でした。
 そのような次第で、社長さんには小さい頃から可愛がってもらいましたが、
 2年ほど前に亡くなってしまいました。
 宇都宮では人気を「みんみん」と二分すると言われる「正嗣」の創業は、
 1965年(昭和40年)との事です。
 この2店は、ともに我が家の近くにあります。
 僕はずっと「みんみん」派だったのですが、
 同居人は「正嗣」派だったので、次第に「正嗣」派に感化されました。

 これらの2店舗の外に新しい店舗を加え、
 5店舗が並んでいる事から、我が家の近くが「餃子通り」との愛称になりました。
 僕自身は余り歓迎する訳ではないのですが、仕方ないですね。

 今日の「餃子通り」の状況ですが、
 新型コロナウイルス対策として外出の自粛が求められていますので、
 どの位人が来るかなと思っていました。
 昼前後通りましたが、多くの人が来ていて、
 どの店の前も行列が出来ていました。
 一昨年のゴールデンウイークと比べると、やや少ないかなと言う感じですが、
 普段の3連休よりは多いような感じがしました。
 県外ナンバーの車が多く、東京都内や埼玉県の車が多く、
 伊勢志摩ナンバーの車は初めて見ました。

 宇都宮市の餃子通りから、
 全国の観光地の人出を類推するのもおこがましいかも知れませんが、
 多分こんな感じの所も多いのではないかと思います。
 緊急事態宣言が一部の都府県に限られ、
 まん延防止等重点措置の対象も限られていますので、
 対象になっていない所には、出掛けやすいような気もします。
 連休明け、果たしてどのような結果になるのでしょうか?


【今日の一句】
 忘れてた 自分の年と 借りた金


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