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2021年03月10日17:28

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ありがとう、ありがとう、ありがとう

この季節、ダンナさんの誕生日があるので楽しいはずなのに、暗くなってしまいました。
そう。東日本の震災があったから。
10年…ですね。

震災といっても、地震、津波、そして原発の事故――3つあったわけです。

「ようつべ」見てるうちに、福島の画像に行き当たりました。
FUKUSHIMA。
私は、福島の情報に背を向けてたと思います。一番見なくちゃいけないのに。
見ないで、忘れる――楽だったから…。
今回福島の画像を見るようになったのは、京都大学の小出裕章助教授からです。

それで、避難地域に一人残って、動物の世話をしてるオジサンの動画っていうのに出会いました。

オジサンは松村直登といいます。
最初はほかの人と同じく、親戚を頼って逃げた。そしたら、断られてしまった。
避難所に行ってみた。満杯だと断られてしまった。
「帰るしかねえべ!?」と。

ご存じのように、あの地域のウシ、ブタ、ニワトリは殺処分となりました。
イヌやネコを飼っていて、どうせ数時間で帰れると思っていたら、バスに乗せられ、そのまま避難所に連れて行かれて、帰れなかった人もたくさんいる。

東京に住んでてわからなかったけど、向こうでイヌを飼うといったら、"ペット"じゃないんですよね。番犬。自分の家を守る。
だから、チワワやポメラニアンではなく、大きいイヌがほとんど。
イヌたちは、玄関先につながれ、家の人がもどるのを待っている。

ウシも、緑の野辺で草をはんでいるのを見て、ああ、自由になったんだなぁと思ったら、大違いです。
食べ物も、水さえ与えられず、餓死したウシ、ブタ、ニワトリ…。

松村さんはそんなイヌに水とご飯をやり、ネコにも水とご飯をやり、頼まれたウシを飼い、ポニーを飼い、ダチョウを飼ったんです。

放射能の影響が出るのは30年後。そんな先まで生きてないから、と言います。
でも、原発から12キロの自分の家に1人残るって、もンンンのすごくタイヘンだと思う。
電気、水道のない生活もそうだけど、役場とのやり取りとか…。

こんな人がいるの、ちっとも知りませんでした。
なんで!?
って、アタリマエですよね、私の外からの情報ってテレビしかなかったんだから。
テレビ、新聞、ラジオ、みんな企業なんですもん、それも大きな。
スポンサーに都合の悪いコト、流すワケがない。

松村さんのこの生活、「桃源郷」という言葉を使う人がいます。
後でいくらそうではないと説明しても、そういう言葉を使ってほしくない。
ここに来るまで、想像もできないぐらいの悲惨な状況を見てきたんですもの。

ここで生きていく事が闘いだと松村さんは言います。
いくつかの動画を見て、「闘い」の意味がわかりました。
こんなにたくさんの「敵」を相手に、フツーの人は闘えない。

10年たって、どうなっただろうか?
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