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2020年10月05日18:12

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水の都ベネチアで「モーゼ計画」 浸水防ぐ巨大水門稼働

■水の都ベネチアで「モーゼ計画」 浸水防ぐ巨大水門稼働
(朝日新聞デジタル - 10月04日 15:35)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=6255695

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「水の都」として知られるイタリアのベネチアで、高潮被害を防ぐためにつくられた巨大水門が3日、初めて稼働した。ベネチア市は、同日正午(日本時間同日午後7時)過ぎに最大125センチの高潮が起きると予報していたが、市の歴史地区がある潟と海の間を水門が仕切ったため、水面の上昇は約70センチに抑えられたという。

 ベネチアでは毎年秋から冬にかけ、強い南風を受けた海水が押し寄せて水面が上昇し、高潮による浸水被害が起きてきた。昨年11月には観測史上2位となる187センチを記録し、歴史地区の大半が被害を受けた。

 同国政府は、高潮対策として総工費約55億ユーロ(約6800億円)をかけた「モーゼ計画」を進めてきた。巨大な水門を海底に寝かせた形で設置し、高潮の際に水門を起き上がらせて海水の潟への流入を防ぐ。2003年に始まった工事は、汚職事件や経済危機の影響で進まず、昨年にようやく完成した。(ローマ=河原田慎一)
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こういう古い町並みに、最新技術が投入された実は先端都市というのは、その時代格差がある程、興奮度合いが強いもので、映像作品では見せ所のひとつである。もう古いが、エヴァンゲリオンの第3新東京市のギミックは、ちょっとカッコよさがあった。

多くのギミックが無駄で意味のないもので、その殆ど多くが景観のためにある。狼の皮を被った羊みたいなもので、印象のギャップこそが正義の世界観である。

ベネチアの場合は、通常は海流を通して高潮の時だけ防御するという訳で普段は海底に沈めておくわけで、あと数年もすれば牡蠣殻とか海藻まみれになって、新しい観光名所になるだろう。

そういう意味ではギミックの必要性はその世界観を表している。そしてギミックというものを技術的に真剣に考えたら、意味なし価値なし予算なしになる事請け合いである。基地のギミックを日本に輸入した映像の最初期は、サンダーバードであろうか。子供相手にはこういうギミックが必要なのは、もちろん、子供の世界観と深く関係している。

あれが普通の広大な敷地にあって、通常のエアポートで整備員が駆け回っていたら大人はその合理性に唸っても、子供はどっちらけである。エアポートなど現実の空港がある。何も変わり映えしない。面白くないとなるわけだ。現実で見た事のないものを観たいという心理というものは、恐らく、現実を深くしらないから、比較できないという意味でもある。

見た目が9割と語っていた人だって表層でしか判断できないと自白しているような所があって、あまり面白みがない。深みというのは、トゲアリトゲナシトゲハムシみたいな所に宿るわけである。多くの学者はほんの違いに死活を賭けているような所があるわけである。採集され解剖され標本にされたムシ、哀れ。

ギミックというのは、アニメなら基地とか艦船とかロボットに多数考案されている。人型ロボットなどギミックの集合体であるが、その多くの基本設計は外骨格系である。そのため、実際にはアニメに描かれたようには動かない。それを無理やり動かすのだから、安彦良和の描画力、恐るべし。

多くの外骨格系ロボットでは肩関節が動かない。外骨格のまま人型を形成するにはどのようにすればいいかの研究はないだろうから、アニメーターたちは、その合理性の前に、これは装甲ではない。ゴムであるというコンセプトで描くわけである。

内骨格系のロボットに装甲という形式で押し通そうとしたのは、これまたエバンゲリオンだろうか。だから装甲が鎧というより骨格毎の組み合わせのように出来ている。西洋の甲冑をみれば分かる通り、内骨格でも装甲を施せば自由度は下がってしまう。だからチェインメイルが重宝された訳である。

では外骨格で人間と同様の腕関節は実現可能だろうか、可能としたらどのような外骨格で形成すればいいか、というのは面白そうだが、参考になるのはカブトムシだろうと思われる。各関節の可動範囲が内骨格より少ないので、腕を伸ばすとか、数を増やす方向で自由度を高めたのだと思うが、どうだろう。

少なくとも胴体に関節を付けただけでは足りない。その前段階で動く部分が必要で、すると腕関節は、前肩、肩、肘、手首と4つ以上必要なはずで、そう考えると、初期の蛇腹の腕は合理的だ。

胴体の内側にも関節を設置するという事は胸部の稼働は平たい装甲で覆う訳にはいかず、稼働可能な形式にしておく必要がある。すると、そもそもその上に頭部を置いておく必要はあるのか、という話になるが、そこを譲るとロマンも形無しである。

それは現実の実用型の人型ロボット(原発関連で開発中のはず)が誕生するまでは、古いシステムの半歩先をいく形式しか許されないものなのである。

例えば古いSF映画にも無線機は登場するが、基本的には時計の延長戦である。携帯電話という未知のデバイスを作家たちは理解していても、それを登場させる事は読者の理解を置いてきぼりにしています。SFでも固定電話が登場するのも同様で、携帯電話のある世界観を描くには、当時の読者を置いてきぼりにする可能性が高い。

一気にステップアップする事が現実的には難しいだろうし、そういう違和感を抱えたまま小説を楽しむのは難しいだろう。現実の延長戦上の無理のない範囲でしか考えられない。ソビエト連邦がずうっとあるとは思っていなくても、同時の小説家のSFがやはり登場させるにはソビエト連邦としか書けない。その後に読む読者はそこになんとない時代性も含めて近未来の話を楽しむ事になる。

しょせんは絵空事ではないか、されど来るべき未来とリンクした絵空事なわけである。

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