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2020年12月04日18:37

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11月に見た映画 寸評(6)

基本【ネタバレ】あります。

●『罪の声』(土井裕泰)
1984年に起き、その後時効が成立し迷宮入りした「グリコ・森永事件」を、真相はこうだったのでは? という推理的発想で描かれたフィクションで、なかなか面白い。この面白さはおそらく塩田武士の原作小説に元からあるものだと思われるが(未読)、映画も、声を使われた当事者の星野源と、当時の事件を調べる新聞記者の小栗旬との二つの視点がテンポよく交互に描かれ、その二人がいつ接触するのかという興味でグイグイ引っ張っていく。
小栗、星野の主演二人はどちらも抑えた演技をしていて好演だが、この映画のもう一つの主役は、何といっても昭和という時代だろう。昭和に時間を戻す仕掛けの一つとして、細かいが、冒頭、子ども時代の星野がグリコのオマケのおもちゃのようなもので遊んでいる。わかる人ならわかるが、これがTVアニメ『スーパージェッター』に出てくる流星号に似た形をしている。流星号はタイムマシンであり、実際に時を超えて、現在のカセットテープと手帳の入っていた箱の中から一緒に出てくる。物語が終焉すると役割を果たしたかのように潰れるのも面白い。
他にも小道具的なものであれば、テープの声に一緒に録音されていたわらべの「めだかの兄妹」の歌。こういうのは懐かしくて一気に時間が戻される。あと声を使われた16歳の少女が持っていた映画雑誌「スクリーン」。私は「ロードショー」派だったが、それでも外人女優の顔が表紙になっている感じが懐かしかった。その少女が外国映画の字幕翻訳家志望というのも映画ファンにとっては嬉しい設定だ。後述するキャスティングの件も含め、この映画、かなり映画ファン寄りに作られているのではないか、と思ったが、一方で小栗旬の勤める新聞社では、小栗も含め、映画の紹介欄担当を軽視しているような描かれ方をしていた。一喜一憂である。
小道具と同じといっては失礼だが、キャスティングも昭和に活躍した俳優たちが大挙して出ているのも嬉しい趣向である。火野正平をはじめ、桜木健一、佐藤蛾次郎、宮下順子…といったちょっとした顔見せ程度でも嬉しい。そして何といっても宇崎竜童と梶芽衣子の二人! これは増村保造監督『曽根崎心中』のコンビである(それ以外でも近年は歌手と作曲家という関係でタッグを組んでいる)。今作では共演場面はなかったが、かなり重要な役どころで、しかも梶さんに至ってはこれまでの役柄が踏まえられている様子も伺われた。なのに…ああ。学生運動は、一般的に連合赤軍事件によって終息したとされる。どれだけ正しいことを主張していてもやり方が間違っていては誰もついてこない。それはわかる。そういったことを踏まえて、この映画はああいう結末にしたのだろう。しかし一つだけ言っておくが、星野源が最後、宇崎にあてた手紙の中で「どんなことがあっても黙ってひっそりと暮らそうと思います」みたいなことを書いていたが、それはどうかな、と思う。政治家や大企業の幹部などは昔も今も平気で弱い者を踏みにじるようなことをするぞ。それでも声をあげず、ひっそりと暮らすというのだろうか。なにか梶芽衣子と宇崎竜童のキャリアを否定されたような気分になった挙句、市民はどんなことを権力者からされても黙っていろ、というメッセージを受けとったかのような…。私はこの結末で、一気にこの映画から醒めてしまった。
他にも翻訳家志望の少女の轢死体から身元はわからなかったのか、とか、結局きつね目の男はどうなったのとか、細かい部分で気になるところがあるけど、上記のことと比べたらどうでもいいかな。
<あべのアポロシネマ スクリーン7 L−6>

●『ドクター・デスの遺産 BLACK FILE』(深川栄洋)
最近世間を騒がせている嘱託殺人、安楽死の是非に絡めた社会派的要素のある犯罪映画なのかな、と思って見たら、さにあらず。そんな社会派性はほぼ皆無な、あくまでエンタメネタとしての嘱託殺人医師の話であった。まあ、この手の映画でエンタメであるとか、社会派であるとかの違いは乱暴に言えば比重の問題なので、私はそれほど気にしないけど。
気になるのは、これ、映画として完膚なきまでにつまらないってことでしょう。演出、物語、演技…どれをとってもサイテーの、年間ワースト入り確実のヒドい映画で、見ていて本当に退屈した。
綾野剛の刑事はずっと怒りっぱなし。怒鳴って暴れて、モノを蹴って…本当にそれだけ。常日頃からそんなに巧い俳優じゃないとは思っていたけど、ここまでヒドかったとは。相棒刑事の北川景子も、この役が北川景子である必然性がまるでない。そもそも役柄的にほとんど男のバディと変わらず、女性である必要がない。ふつう男女の刑事コンビなら肉体関係があるとかないとか、そういう設定なり展開なりがあるでしょ。そういう奥行が一切ないので、主役コンビにまったくリアリティが感じられないのである。まるで大昔のマンガみたいだ。
逆に、真犯人役の木村佳乃がハマっているのは、まさにマンガみたいにわかりやすい狂人演技をするからであって、そーゆーのは演技が巧いのとはまた違うと思う。
一事が万事そんな調子で、ストーリーも杜撰。綾野剛の刑事が何も考えずに行き当たりばったりで行動し、それで物事が進んでしまう。あと急にTVドラマのような、安っぽいオープニングタイトルが始まるのにも呆れた。そこだけかと思ったら、途中の追っかけとか動きのある場面になると突然、音楽がド派手になる。完全に浮いていた。深川監督も演出放棄しているんじゃないのかと疑ってしまう。
<あべのアポロシネマ スクリーン2 L−7にて鑑賞>

●『博士と狂人』(P・B・シェムラン)
辞書作りの苦心話はすでに『舟を編む』と『マルモイ ことばあつめ』があって、どちらも面白かった。元々辞書を作る話などは地味だし、映像で見せるよりも活字の分野の方がいいように思うのだが、それでも先の2本は面白く見せた。
本作は有名なオックスフォード英語大辞典製作の裏話という触れ込みで、辞書編纂責任者に抜擢された在野の言語学博士マレー(メル・ギブソン)と、学閥を偏重するオックスフォード大学理事会との軋轢が描かれる…かと思いきや、マレーの辞書作成の協力者になる元軍医で、今は殺人の罪で精神病院に閉じ込められているマイナー(ショーン・ペン)の悲恋話を絡めて見せる。驚くことにマイナーは誤って殺してしまった男の妻エリザ(ナタリー・ドーマー、個性的できつい顔立ちだが美しい)に慰謝料を渡したりして面会しているうちに相思相愛の恋に落ちてしまうのだ。夫を殺した相手と恋に落ちるなんて、成瀬巳喜男の『乱れ雲』か。しかし、罪の意識から逃れられないマイナーは自分の男根を切り落としてしまい、ついには院長の荒療法によって自我さえなくしてしまう。マレーの辞書編纂の話も並行して描かれるので、忘れはしないけど、どうしても辞書の話より、マイナーの話の方がインパクトが強く、そちらに印象を持っていかれる。
マイナーと辞書作りを通じて友情を築き上げたマレーは、自身がそのために編纂者の地位を奪われそうになっているにもかかわらず、マイナーを病院から救い出すために駆けずり回る。最終的には内務大臣のチャーチルに嘆願しにいって、国外退去という形でマイナーの命を救う。一方マレーの編纂者の地位も、マレーの友人によるある奇策によって保たれ、残りの生涯を辞書作りで終えるのだった。めでたしめでたしである。
確かにスゴい裏話ではあるが、ドラマの密度が濃すぎてついていけなくなるときがあった。実際は他にもマレーの妻の話や、エリザと子供たちの話や、精神病院の院長とその看守の話もあったりする。これが初監督だというP・B・シェムランはそれらを丁寧に描いていた。しかし一つだけ気になったのは、精神病院の院長はなぜあんな旧態依然の残虐療法をマイナーに処置したのかということ。それまではマイナーといい友人関係だとか言っていたのに、マレーやエリザに関係を奪われたのでその嫉妬からなのか(ちょっと『羊たちの沈黙』を思い出す)。その部下の看守役を演ったエディ・マーサンがいい味を出していた。それまで院長の言いなりだったのに、最後はマイナーを助け、院長に立てついたので嬉しくなった。
<シネリーブル梅田 劇場1 D−6にて鑑賞>
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