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2020年09月05日16:06

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応仁の乱以来・・・

 昨日、ネットのニュースを見ていて、
 京都新聞の「応仁の乱以来、550年ぶりに神仏習合の祈り」との記事に
 興味を感じました。

 京都市上京区の北野天満宮と滋賀県大津市の比叡山延暦寺が
 合同で営む「北野御霊会」が昨日、
 同天満宮で約550年ぶりに再興されたとの事でした。
 同天満宮で、神仏習合による祭典が実施されるのも
 1868(明治元)年の神仏分離以来で、神職と僧侶が並んで境内を進み、
 新型コロナウイルスの早期終息や国の安寧をともに祈ったと書いてありました。

 北野御霊会は、平安時代に始まった勅祭「北野祭」の一環として
 延暦寺の僧侶を迎えて催されてきましたが、応仁の乱の後に途絶えたとの事です。
 また、天満宮は神仏分離までは延暦寺の管轄下にあり、
 宮司の役割を担う「別当」職を天台宗の京都五箇室門跡の一つ、
 曼殊院の門主が代々務めていた縁があるそうです。
 天台宗を開いた最澄の1200年大遠忌を来年に控え、
 北野天満宮も祭神・菅原道真の1125年半萬燈(まんとう)祭を
 7年後に迎える事から、
 互いの節目を契機に歴史的なつながりを見直そうと、
 応仁の乱以来となる神仏習合での北野御霊会が計画されたとの事です。

 日本古来からの神道と6世紀前半に日本に渡って来たとされる仏教は、
 歴史的な経過の中で、本地垂迹説などにより神仏習合が行われて来ました。
 江戸時代には、国学などの影響を受け、神仏分離が始まり、
 明治維新政府が樹立されると、すぐに神仏判然令が出て、
 急速な廃仏毀釈が行われました。
 野口武彦さんが著した短編集の「異形の維新史」の中の「木造流血」には、
 廃仏毀釈の様子が具体的に描かれていて、
 こんなものだったのかも知れないと思った事があります。

 僕は、明治政府の廃仏毀釈で、多くの寺院が破壊され、
 貴重な文化財が失われたと思っています。
 奈良の興福寺の五重塔は、現在は国宝になっていますが、
 25円で売りに出され、危うく薪にされる所でした。
 その後、過度な仏教の排斥が収まり、神道は国家神道になって行く訳ですが、
 しぶとく神仏習合を貫いた寺院が、栃木県内にも多少残っています。
 大田原市の光丸山法輪寺はそうした寺院の1つで、
 お寺なのに鳥居があります。
 宜しければ下記に載せてありますので、ご覧下さい。
 http://tennnennkozimitearu.seesaa.net/category/27347036-1.html

 これまでの人類の歴史の中で、宗教の対立による争いは数多くありました。
 今でも、イスラム教の原理主義などの問題があります。
 しかし、これからの世の中は、宗教がお互いに協力し合って、
 平和な世の中を築き、人類に幸福をもたらしてもらいたいものだと思います。
 そうした意味からも、今回の北野天満宮と延暦寺の企画は良い事だと思います。


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