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2020年03月11日07:19

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キリシタン紀行 森本季子ー64 聖母の騎士社刊

私の奄美紀行ー28

和光園は一つの集落を形成している。島の交通不便な小村より生活条件に恵まれてさえいる。病院があり専門医が常駐し、生活が保証されている。舗装道路が園内中央を貫き、その両側に家族住宅、独身寮、夫婦の棟などがある。ハイビスカス、ディゴ、カンナなど目も覚めるような紅や黄色が家を取りまいている。思わず足を留めて、灌水している人と立ち話をした。

 道は細まって山あいの畑地に入ってゆく。小さく区切られた土地にはとうもろこし、さつま芋、里芋、かぼちゃなどが手入れよく植えてある。生活に必要のための労働ではない。健康のため、収穫する楽しみのため、人と分かち合う喜びのためだという。

 十年前の記録だが、日本全国で国立ハンセン病療養所は十三か所、私立の施設が三ヵ所。入所加療者8500人のうち、80%はプロミン、D・D・S等の化学治療剤により無菌となった長期加療者である。全国各地から社会復帰した者は合わせて三千人を越えている、とある。(多摩全生園の記録)。現在はより多数であろう。和光園では開設以来、軽快退園者は112名(1989・12現在)。また健康を回復し、社会復帰も出来る人たちの中には自らの意志で留まっている者も多くあると聞く。事務所の運営その他それぞれの体力と能力に応じて、所内の仕事にたずさわっている。

 平成元年(1989)8月現在、和光園入所者180人のうちカトリック者60人。ほかに職員30人が信者である。

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