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2020年01月07日10:07

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キリシタン紀行 森本季子ー6

台風と言えば、車窓から見える山の樹木が、赤茶けた葉を付けたまま立ち枯れているもの、太い幹をさらして倒れているものが、おびただしい。昨年の大型台風十二号が残した爪痕である。(中略)

 山間部を通り抜け、はじめて水面が見えてきた。これから先は複雑に入り組んだリアス式の絶景が展開してゆく。サファイア色の水の濃淡、岸の緑、入江の光と影、それがどこまでも続いてゆく。”玉の浦”とはよくぞ名付けたり!この浦は美しいばかりではない。最深部の水深は六十三メートルで、台風時には船舶の避難港でもある。平安の昔、第十六次遣唐使船(延暦二十三年=八○四)で入唐した空海が帰路漂着したのが、この玉の浦である。真言密教が空海により、まずこの地に伝えられた。大宝寺が今に”西の高野”と言われている。都に先がけて唐の文化がこの最果ての地に移植されたのも、台風のなせる業だったのだろうか、などと考えていると、突然、

 「あれが、去年の台風で傷めつけられた立谷教会です」
 と、M神父の声。左方草原の中に憐れな廃屋が手の施しようもなく荒れ果てて、見捨てられている。五島を襲う台風の猛威を思い知らされて通過した。

 井持浦教会は静かな入江を望む小高い丘に位置している。最初の赤レンガ造りは明治二十八年、パリ外国宣教教会のペルー師によって建てられた。五島教会の紹介パンフレットや旅行案内に見るあの建造物を、私たちも目にするものとばかり思っていた。ところが、あの建物はもう無かった。昨年の台風十二号の仕業である。大破した教会は取り払われ、新教会の建築中であった。聖堂の前面のみが出来ていた。それがまた渋い色のレンガ積みで堂々としたものである。

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