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2019年12月28日19:11

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『親鸞がヤクザ事務所に乗り込んで「悪人正機」を説いたら』

 宗教の本としては軽い読み物でした。それでも,いやそれだからこそ理解できたこともありました。「絶対他力」の肝のようなものが何となくわかったような気がしました。

<以下引用>
P164
「娘さんに伝えてください。合格を目標に努力するのではなくて,努力したら結果として合格した――こうあるべきだと。合格を目標にすれば,合格しなければ努力が無駄になる。努力した日々は何だったのだろうかと後悔するでしょう。そうではなく,今日という日を一所懸命に努力し,完全燃焼しようと思って生きれば,たとえ不合格でも努力した日々に悔いは残らない。明日という不確かなものを仰ぎ見て今日を生きるべきではなく,今日を今日として生きていく。このことを伝えてあげてください」

P204
「おわかりでしょう。三郎さんが左に行ったからあなたは怒ったのではなく,右に行けという思いに三郎さんが従わなかったから怒った。あなたは,あなたの思いが裏切られたことーーすなわち,あなた自身に怒っている」
「・・・・・・」
「人間はそれぞれがいろんな思いと価値観を抱いて生きています。自分の意に従う人間は可愛く,意に反すれば腹が立つ。この愛憎違順という煩悩をすべての人間が抱えている。みんな,それぞれに言い分があります。百人いれば百の理がある。だから自分の勝手な思いで相手を避難し,憎しみ合って生きているのではないですか? そんな生き方に,どれほどの意味があるでしょう」

P226
「自力をたのみとする傲慢な<善人>でさえ救われるなら,煩悩にまみれた自分に気づき,深く恥じ入る<悪人>が救われないわけがないのです」

P229
「すでにお気づきのように,<絶対他力>による救いとは,病気が治ったり,願いが叶ったり,苦悩がたちどころに解決したりすることではありません。阿弥陀仏の智慧と慈悲の光に照らされることによって,自己中心であった生き方に目覚め,そこから解き放たれ,生きる意味と生きる方向がしかと定まる。四苦八苦の人生において,どんな苦難をも乗り越えていくことができるのです」
<以上引用>

 <絶対他力> 自己中心であった生き方に目覚め,そこから解き放たれ,生きる意味と生きる方向がしかと定まる。と,いうところでしょうか。


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