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2019年10月05日10:33

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 ばばちゃん と 力道山 

         (2019年10月5日)

 江戸時代以前に作られた五重塔で現存しているのは22塔です。一番古いのは法隆寺、680年ころの建立です。22塔の一つ、東京の本門寺の五重塔に行った時 偶然にプロレスで大活躍された力道山のお墓を見つけました。

 テレビジョンは街の電気屋さんにあるだけで、年4場所の大相撲はラジオ放送で聞いていました。電気屋さんは店頭に設置したテレビで相撲の実況中継を見せてくれました。幕内力士の取り組みになる時間帯は見物客で道をふさぎ車が通れないほどの人だかりでした。母の実家は電気屋さんに近いので木製の折りたたみ椅子を持参して最前列でみせてもらったこともありました。テレビが各家庭に普及したのはそれから数年経ってからです。でも母の実家には間もなくテレビがはいりました。相撲が大好きなじじちゃん(ばばちゃん)に家を出た長男がお詫びの気もちを込めたプレゼントだったのかな と 私の勝手な想像です。じじちゃんは 昔 大相撲の興行を催したほど相撲が好きだったのです。
又、 週に1度、夜の8時?から テレビジョンでプロレスの実況放送がありました。たいてい、締めくくりは力道山とブラッシーの闘いでした。力道山の空手チョップでノックアウトされておしまいならいいのですが ブラッシーは体、顔に噛みつき真っ赤な血が力道山の顔から滴り落ち 体まで血が流れ落ちるのです。私はとても見ていられませんでした。が ばばちゃんは座布団に座って、体は前のめりの姿勢で両手でこぶしを握ってみているのです。今すぐ、力道山の敵討ちに行くような意気込みです。 「 力道山が闘う姿が男らしくて、一生懸命に応援していると 寒さも忘れ体がぽかぽかになるんだよ。」 と後で ばばちゃんから聞いた フアン の心境でした。
 威光院語阿妙和善大姉  昭和36年 75才(12月9日)で亡くなった 友野ばばちゃんのことを力道山 のお墓に伝え お参りしたのでした。
 歓喜院蒙阿光觸清居士  昭和35年 76才(12月28日)で喜作じじちゃん死亡 
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