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2019年04月06日13:13

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徳富蘇峰

徳富蘇峰『支那漫遊記』(大正7=1918年、民友社)p.330
「済南の新聞は、毎日民政問題に就き、極めて悲憤慷慨の論調を以て、日本政府、及び日本を攻撃しつゝあり。彼等曰く、青島に民政を布くは、まだしもの事、之を鉄道沿線に及ぼすに至りては、是れ実に支那の主権を侵蝕するなりと。予は此地の支那官憲に面会せり。然も彼等は此事に就て、直接触るゝ所なく、唯だ日支親善の極まり文句を語りしのみ。然も彼等が、北京政府に密電を発して、其の不可を極論したりと云ふは、事実也。」(旧字を新字に改めた)

 前に「掛け軸の話」で触れた事象についての日本人による記述。ずいぶん以前に読んだが、メモするのを忘れていた。文中の「此地の支那官憲」の中には、れいの王訥氏なども含まれていたかもしれない。
 この蘇峰氏の口吻には、直接会うと「日支親善」を語るが裏では「密電」を流していると「中国側」の背信を咎めているようなところがある。が、「密電」(背信)などというものではない。王訥氏らははっきりと「日本政府、及び日本」向けに反対パンフレットを流通させていたのだから、そこに「日支親善」のためには「民政」は不可であるとの断固とした意志を読み取る以外できなかったはずである。

 蘇峰氏の碑文は今日でも日本の到るところで見かける。氏と同じようなナショナリストなら、今でも世界の到るところにいるだろう。ただ、見るところ、蘇峰氏は天才的な文筆家であって、読者の興趣の赴くところを感知することにはなはだ長けていて、その勘所を摑むことに熟達していた。いわば近代日本における類まれな文筆ポピュリストであった。氏の「平民主義」「国民主義」をそのように理解してよかろう。「日本政府、及び日本」と隙間なく一体化しているかに見えるその姿は何ものかを象徴しているようである。
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