100点満点の小学校のテストで102点! 学力が伸びる担任の秘策が話題
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=159&from=diary&id=5509509
昔、浦部が「頭のいい子供は、教師のレベルを把握した上で、バカな教師はバカな教師の脳内の解答水準に合わせて解答するもんだ」と書いていたので、ま、そうしといたほうが、世渡りはよくなるかもしれませんね。
足し算でけちつけるようなやつが、プログラミングなんか教える前にやらせたら、ループ文の概念なんか、一生理解できないだろうけど。
こんな悪しき「他人の子供に恥をかかせない」とかの平等主義とやらで恥ずかしくないのかね?
挙げ句のはてには、大人になったら、習ってないからできませんと臆面もなく言うようになる、ダメな社会人を生成するだけだ。
https://aiben.hatenablog.com/entry/2016/11/07/100848
(・・・)この教師の対応にクレームをつけたくなる気持ちもわからなくもありません。かけ算を使った計算も客観的には正解なのでどう考えても教師の対応は理不尽だからです。特に、学校で習う前からかけ算を習得しているような子供の家庭は教育熱心でしょうから、クレームがつくのもある意味当然でしょう。
しかし、ここで教師にクレームをつける親の子供は成長しません。僕なら次のように子供に教育します。
「お前の解答は客観的には正解だ。でも、試験の採点権限は教師にある。今回は教師にとっては不正解なのだから、次からは授業中に教師のいうことを注意して聞いて、教師のいったとおりに解答しなさい。」
試験というのは作成者・採点者の考えが全てです。受験生や外野がいくら喚こうといったん決まった採点基準や正解が覆ることはまずありえません。
たしかに、教師にいってることはどう考えても理不尽です。でもこんな理不尽なこと社会に出ればたくさん出会います。不正解になった児童は、純粋な算数の計算能力は高かったものの、教師の好みや意向を見抜く力は弱かったのです。本当に賢い児童がこの問題を解くときの思考過程は次のようになります。
「この問題は自習でやったかけ算を使って解けるな。でも、この間の授業では全部たし算で解くやり方でやったから、先生はそのやり方で解くことを期待しているな。面倒だけど全部たし算を使って解くことにしよう。」
この思考過程をたどれる賢い児童は、かけ算のやり方を知った上で、あえてレベルを教師に合わせて、たし算を使って解答することができています。この賢い児童は、不正解だった児童に欠けていた洞察力・観察力・コミュニケーション能力に優れています。そして、社会で重宝される能力は明らかにこちらの能力です。
自分の考えが正解だといちいち立てついてくる人間と、こちらの意向をズバリ見抜き期待通りの行動をとってくれる人間どちらが成功しやすいかは火を見るより明らかです。
本来は、学校などでの理不尽な体験を通して子供も成長していくはずなのですが、いちいち親がしゃしゃりでてクレームをつけてしまうと、どうしたら教師から高く評価されるのだろうと子供が自分で考えてコミュニケーション能力を養う機会が失われてしまうのです。
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あともう1つ
「内容の理解よりも「終わらせる事」を重視してしまいます。課題の目的を明示しないと大体このパターンになってしまうので、課題を出す側は慎重に内容を検討すべきです。」
を一歩戻すなら、「これは 足し算でやること」とか、を先に宣言して制約をかけておく、などが出題側には求められることになる。
https://www.bunkei-programmer.net/entry/2017/08/17/143910
課題を自分の都合のいいように解釈する事があった
A君は課題の文章を正しく解釈していたが、何故か課題の文章を自分の都合のいいように書き換えて結論を出してしてしまう事がありました。
理由を聞いてみると、「どう書いたらいいのかよく解らなかったのですが、この書き方なら動いたのでそうしました。」と返ってきました。言い方は悪くなりますが、要は「想定とは違う結果だけど動いたんだからそれでいいだろ」という事です。
これは間違っているでしょうか?
ある面では「答えが1通りとは限らないし、別の面からの解があっても構わない。むしろそういう視点こそが重要だ。」という考え方もあります。
また別の面では「課題は◯◯を使って◯◯を行う事、という成果物を求めており、明確にそれが書かれている。しかしその要件を満たさない成果物が提出された。それでは要件を満たせない。」という考え方もありますね。
他人の言葉に強いバイアスがかかってしまう
これは前述の解釈の件と関連がありますが、A君は上司から「そのフレームワークの事よく知らないけど、一般的に◯◯は◯◯っていうやり方したりするよね」といった事を言われると「ああ、自分のやり方は間違ってて、そうやるのが正解なんだ。そうしよう。」という行動をとりがちでした。勿論それは課題が求める成果物ではありません。
後で「◯◯は◯◯っていうやり方をする」の詳細を私が調べてみると、確かにそのやり方でも動くことは動きますが、バージョンが古い時のやり方で、今はdeprecatedな非推奨な書き方でした。公式ドキュメントにもそう書かれています。
A君は最初は正しいやり方の書き方で悩んでいたのですが、他人から別の事を言われた結果、自分のやり方を捨て他人に言われた事を回答としてしまいました。
A君の行動は正しかったのでしょうか?
「上司からそう言われたのだから、(他人との意見の衝突を避けるという意味でも)言う事を聞いておくのが正解」とも言えるし、「正しいやり方ではないのだから駄目」とも言えます。
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