地獄の入り口には道標がないという。
困ったことだなと思う。
つうのは、地獄というのは辛いところで、人はなるべくならその人生が辛くない方がいいなあと思って行動しており、ここが地獄だってわかっているところをなるべくならば避けて通りたいと考えている。
これは言い換えると、最も不幸なのはそうとは知らずに自ら進んで地獄に落ちてしまい、そのことに気づかず、しばらく後で「あそこだったか…」と、塗炭の苦しみの中で、血塗れの手で天を仰ぐ、その時。その瞬間の景色のことだ
年末のこのタイミングで、数々あった地獄の入り口を振り返ってしまい、なんとも悲しい気持ちになってしまった。
具体的にいうと、21歳から29歳まで8年間。
それらすべて自己実現というのはまやかしの形を取っており、苦しい都会生活で見た一瞬の希望だったが故に、騙された自分を責めることもできなくて、心の最も腐臭漂う悔悟墓場で地縛霊みたいにいつまでも俺を待っている。
Don’t look back in angerと念じながらも霊魂が、時折、そう、こうして大して飲みたくもない晩に一人で酒を飲んでしまった折などに、不意に心に去来して吐きそうなる。
自分自身はもとより、その中で関わった他人さえも許せなくなる、人の心の弱さの集大成が、壮大な自己嫌悪の大合唱を浴びせてきて、そんな夜はやりきれねえ。
そして誰かに甘えたくなる。
でも甘えることはできない。
甘えることが自己嫌悪につながるから。
ルサンチマンって怖いよねって話。
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