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2019年01月01日03:16

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ストーリーってどうやって考えるの?

2018年08月24日のツイート

「ストーリーってどうやって考えるの?」という質問を受けたので、ちょっとここに書く。

一番簡単なのが、自分が漫画・アニメ・映画・ドラマ・小説といったストーリーのあるメディアをよく鑑賞して、マネをすればいい。好きな漫画とか面白かった映画とか、普通にあると思う。なかったらそういうのを見つける。こういう感じのを自分も描いてみたい、と思ってやれば何か描ける。

マネというのは学習の基本。学ぶとマネの語源は一緒(まねぶ)。絵も写生したり模写したりすることが勉強になる。そういうことをしていると、どうすればいいかが見えてくる。

では何が見えてくるのか。質問はストーリーのことだが、これは要するにパターンが見えてくる。好きな作品をマネして自分の作品を描くというのは、その作品と同じパターンで自分のバージョンのものを描くということ。するとパターンの引き出しは多い方がよく、勉強のためにいろんな作品を見た方がいい。

パターンを悪いものであると考えるのは間違い。パターンそのものは悪でもなんでもない。「パターンが見え透いてしまう」のが失敗だということ。パターンが見え透いてしまうと、作り物であることが分かってしまい興ざめする。これが、パターンが悪いものであるかのように勘違いする原因。

ストーリーのパターンは数学の公式のようなもので、xやyにどんな数値も代入できる。これが設定。キャラxは老若男女さまざまな設定にすることができる。そしてパターンは組み合わせで無限のバリエーションになる。つまりパターン・設定・組み合わせで、見た目的にまるで違ったものが表現できるわけだ。

パターン・設定・組み合わせすべてをそのままマネしてしまうから、お客さんに見透かされ、パターンが悪者にされる。少なくとも設定ぐらい自分が描きたいものが、好きなキャラのタイプがあるはずだ。そして普通にいろいろパターンを知っていれば組み合わせのバリエーションも指数関数的に増えるわけだ。

ストーリーの構成を簡単な見方で考えるとそういうことになる。これを否定するのは「自分の言葉で喋れ、『日本語や既成の言語を使うな』」という無茶な話だ。もちろんボディランゲージも禁止。悲しい感情を悲しい顔で表現してはいけない。するともう自分にしか分からない、誰にも伝わらない表現になる。

難解な芸術みたいな作品があるが、本当に誰にも分からない作品はほとんど誰にも見てもらえないし酷評されるだけ。難解だけど面白くて人気がある、という作品は、必ず要所で分かりやすい部分があって、「ここを分かりにくくしたら面白くなる」という微妙なラインが分かっているから描けるのだ。

そういうことは上級者が考えることであって「ストーリーってどうやって考えるの」という質問をしている段階においては、まずはストーリーの簡単な見方を納得するところからだ。まずストーリーをパターン・設定・組み合わせで見るというのは、もちろん他の見方もあるが初心者にはなかなかいいと思う。

私が小学生のときに描いた漫画がいい例だ。ウルトラマンのパロディである。まずウルトラマンのストーリーというのはとても分かりやすいパターンになっている。あるところに怪獣が現れて暴れる。ハヤタと科特隊が戦う。ハヤタが変身する。ウルトラマンが怪獣と戦いカラータイマーが鳴って倒して去る。

私はこれを藤子不二雄みたいな絵でギャグ漫画にした。怪獣の名前を例えばレッドキングをヘッコキングにした。つまり、そのように絵柄やジャンルなどの「設定」を自分なりに変えたのだ。早くウルトラマンが出てほしいのでウルトラマンに変身するまでかなり早かった。これは編集、組み合わせ的なものだ。

これをもっと、ウルトラマンというヒーロー・タイトルやハヤタという主人公の名前や設定、デザインまでも自分が考えたものに変えれば、新しいオリジナルヒーローギャグマンガが誕生するわけだ。まったくこれは小学生でも描けるストーリーの描き方。まずはやってみろ、話はそこからだと言いたいくらい。

これでまずはストーリーを書くための簡単な道具を手に入れた状態。ここでいよいよ真打ちの登場だ。「描きたいものを描く」だ。誰だって何か描きたいものがある。というか、やりたいことがある。絶対ある。自分の中に宝がある。それをキャラクターにやらせるのだ。それが描きたいはずだ。それが根本だ。

これで間違いなく何か描ける。が、料理で言えば「こういうオリジナル料理が食べたい(作りたい)」というのと、参考にする既存の料理、材料と道具、簡単な作り方がある状態。よし作ろう、で何か作れる。だが「美味しいオリジナル料理を作る」となるとさらに先がある。そのための腕を磨く必要がある。

言うまでもなく「美味しい料理」とは「面白い作品」のこと。で、ここで朗報なのが「何を描くか?」と「面白くするには?」は別問題ということだ。何を材料にしようがどんな料理を作ろうが、それを美味しくできるかは「料理の腕の問題」なのだ。だから題材で悩む必要はない。描きたいものを描けばいい。

ただ「そもそも食べられないもの」を美味しく料理するのは難しいだろう。その辺の感覚は自分で何とかしてくれ。ちゃんと食べられるものであればまったく料理の腕次第だ。食べられないものを美味しくするとか、そういうことに挑戦するのは上級者になってからの話だというのは普通に分かることだと思う。

モチベーションとしては自分が作りたいものを作るのだが、目的としては人が食べるものを作るのだということを忘れてはいけない。人に食べさせて美味しいと感じてもらうこと、実際としてはそれが目的になる。人に食べさせるのでないなら別に作りたいものを勝手に作ればいいだけでこれを読む必要もない。

さて、この辺でいったん区切りたいと思う。続きを書くなら「ストーリーを面白くするには」というテーマになる。「面白いストーリーを書く」というより「ストーリーを面白くする」。料理で例えるのが月並みすぎるが本当にピッタリ例えられる。ストレートなものが手を加えていくと面白くなっていくのだ。

いきなり面白いものを書くのではない、というこのニュアンス。いきなり面白いものが書けるとしたら書く前に既に頭の中で面白く完成しているか奇跡の偶然だ。で、別に頭の中で面白く完成させておく必要はないのだ。書きながら考えればいいだけ。そのためにストーリーをプロットで考える工程があるのだ。

頭の中だけでウンウン考えるより、紙とかに書きながら考える方が楽だし簡単なのである。紙に書けるということは形になっているということ。ストーリーを考えるのに適したフォーマットがあるのだ。これはパターンの話と関係がある。パターンと言っても大雑把なものから繊細なものまで様々だ。

これは考え方の問題なので、パターンで考えようがモヤモヤした感じで考えようがやってることは同じのはず。なんとなくモヤモヤ考えた方が思いがけないものが出てくる印象はあるが、本当にそうだろうか? 明快に考えられるようになった今ではモヤモヤは苦しいだけだったような気がしている。

私がやりたいことだけを言えば「自分が描きたいもの」を「面白いものに仕上げる」、これだけで十分なのだ。「面白いものに仕上げる」能力があれば、別に自分が描きたいものでなくても、なんでも面白くできるのだ。なんでもいいのだ、題材などは。「面白いものが描ける力」以外に何が必要なの?と思う。

「作品の面白さは題材で決まる」という考えがあるとすれば、それは間違いであると思っている。逆に題材は枝葉末節の要素であると思っている。題材とはガワである。着せ替えができる要素である。面白さの本質ではない。所詮ガワなのに題材ばかりに拘るのはいかにも「分かってない」ということになる。

あ、話が別のことになってるのに夢中になって話を続けてしまったw いったん終わります。
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