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2018年12月25日07:45

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ボブ・マーリイ・デイ資料ー2

3、1980年9月21日、日曜日の朝、ボブ(・マーリイ)とスキリィ(友人)はセントラル・パークにジョッギングにでた。ボブがセントラル・パークの南にある池のまわりをジョッギングしていると、とつぜん体が凍りついた。スキリィを呼んでおかしいといおうとしたが、首が硬直して動かなかった。振り向くこともできず、彼はまえに倒れた。(359〜360p)

ボブはツアーをつづけて、火曜日の夜のショウをかろうじて終えた。スキリィがリタのところにきていった。「ツアーを止めるのは賢明じゃないよ。たとえ止めたとしても、ボブはもう死ぬんだから」これはリタがボブがほんとうに死ぬのだという言葉を聞いたはじめてのものだったーまもなくなのだ。(362p)

ひそかにボブはマンハッタンのメモリアル・スローン・ケタリング・ガン・センターに入院すると、ラジウム治療を受け、額とこめかみのドレッドロックは抜け落ちた。二日後に彼がそこにいるという噂が流れた。少なくとも二週間は入院するはずだったが、ボブはWNEW―FM局とニューヨークの新聞でそれを知ると、適切で強引な処置をとらなければ10週間と生きられないという医師の警告を無視して、即座に退院してしまった。このときの診断によると、ガン細胞は肝臓、肺、脳にも検出され、病原体がほかの生命組織まで広がっているのはあきらかだった。(363p)

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