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2018年11月06日16:46

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 「しよう、しよう」と頑張ろうとするのは 「出来ないかもしれない」と疑っているに他なりません。



シャンタンさんの日記 b
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何であれ「しよう」と行為することはうまくいきません。

津留晃一

問題解決

 完璧なペースで、今、地球の波動は変わりつつあるようです。

準備の整った方々には、問題がモーレツな勢いで次々と押し寄せてきていることでしょう。

やって来る問題の原因は、人それぞれに複雑で多岐にわたり、
一般論として話したところで、なかなか本人の納得のいくところとはなりません。

ですが、それを良きものとして捉えられる人は幸せな人です。

 問題が現れた時の態度として、
まずそれを「解決しようとしない」

という心構えを第一に挙げたいと思います。

もちろん「するな」という事ではありません。

ささいな問題も放っておいたら、
向き合わずにはいられない状態が必ずやってきますから。

出来ることならどうぞ早め早めに解決して下さい。

このニュアンスをうまく伝えられると良いのですが、
何であれ「しよう」と行為することはうまくいきません。

 単純なところからお話しすれば、
「出来る」と思い込んでいる事だけが出来るからです。

疑いの心が入ったとたん、出来ていた事も、出来なくなります。

出来なかった事も出来るのだと思い込めた瞬間、
出来るようになるからです。
壁の向こうを透視しようといくら力んでも出来ないのに、
ただ見たとき、見える事が何度かありました。

 「しよう」、「しよう」、と働いているのは
自我である、という事を知って下さい。

この事を今はっきりと自覚して下さい。

自我には現象化そのものの力はありません。

現象化の力は宇宙(大いなる我)に所属しています。

ちょっと考えてみて下さい。

当たり前に出来る事に
「しよう、しよう」という思いを働かせることはありません。

「深呼吸しよう」と思った時の感覚と
「壁の向こうを透視しよう」
と思った時の感覚の違いに気付いてみて下さい。

出来ると信じている事をしようと思ったときの心の働きと、
出来ないかもしれないと思っていることを
しようと思っているときの心の働きは、全く異なったものです。

現段階の人間にはこの違いをわかる必要がなかった為に、
本来違う働きのものに同じ言葉が使われています。

まずその違いをぜひ自分で自覚してみて下さい。

そしてその違いに自分で区別がつくならば、
それぞれを別の言葉で表現してみる事をお薦めします。

 「しよう、しよう」と頑張ろうとするのは
「出来ないかもしれない」と疑っているに他なりません。

ですからあなたが「しよう、しよう」
としている事は出来ないのです。

さいころの6の目を出そうと想念を傾ければ、
その目が出る確率が上がってくることは
既に知られていることですが、
せいぜいその場合の増加確率は1%とか2%に過ぎません。

想念の力の使い方を根本的に誤っています。

片方で出来ないと信じたまま、
6を出すぞ、6を出すぞと頑張っているのですから。

りきんでいる人は、出来ないと思い込んでいる人です。

単にさいころの目は自分の思い通りに出せるのだと
信じ込めた人は
一挙にその確率が8割9割と増えてしまう事でしょう。

 よし、その方向でやってみようと思われた
あなたに申し上げますが、

その想念の力の働かせ方を、さいころの目なんかではなく、
どうぞ自分の幸せに直接試される事をお薦めします。

「ああ、そうか私は自分を幸せにする事が出来るのだ」と、
「これまでは彼があんな人だから
自分の人生は台無しだと思っていたけど、

私は自分の力で自分を幸せにすることが出来るのだ」と、
是非そんな心の使い方をこそお薦めします。


以上転載終了です。
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