自己責任論は、才能のある人を潰すためにある呪いの言葉のように思われるのニャ。
人は、成功よりも失敗から多くの事を学ぶ、違うかニャ。
才能は努力で花開く、違うかニャ。
努力すればするほど、失敗も山ほどする、違うかニャ。
自己責任論は失敗を恐れるへっぴり腰の、権力者に都合のいい人間を作る呪いの言葉でしかないのではないかニャ。
違うかニャ。
でもそれは、社会の進歩を止める愚挙ではないかニャ。
才能を伸ばし花開かせた人達は、自らの努力とそれを支え見守り励ましてくれた人々との出会いがあった人達ではないかニャ。
どんな天才でも、壁にぶつかって苦悩の日々を送った事は一度や二度ではなかったと思うのニャ。
ましてや秀才は、推して知るべしではないかニャ。
自己責任論は、努力する人達を押し潰す言葉でしかない、違うかニャ。
自己責任論は、言い換えれば、自業自得、更に言い換えれば、身から出た錆、だから言ったじゃないか、身の程知らず、ではないかニャ。
どうかニャ。
全部、人の努力を嘲り、人の足を引っ張る、後ろ向きの言葉ではないかニャ。
どうかニャ。
飛躍出来た人たちは、自分の可能性を信じ、自分のしていることの意義を信じた人達ではないかニャ。
違うかニャ。
自己責任は、当たり前過ぎる、どうかニャ。
だが自己責任では負いきれないこともある、違うかニャ。
才能や可能性を花開かせた人達は、多くの人の支えや励ましに出会えて、困難を乗り越えられた人達ではないかニャ。
支えてくれた人達もまた、支えられて今の自分があると知っている人達ではないかニャ。
支え合いのバトンリレーがここにある、そう思えないかニャ。
どうニャろ。
違うかニャ。
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