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2018年10月28日06:40

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明治元年の、メーテル。

シーボルトの配偶者には、いろいろな説があります。
「傾城ノ外、入ルベカラズ」
という出島ですから、
出島の外での診療を許されていたシーボルトと恋に落ちた彼女は、
遊女屋に頼み、お抱えの遊女ということにしてもらって、出島に入ったという話があります。

ところが「傾城」(「傾城の美女」から来ている)は、化政期の江戸では、間違いなく芸者、遊女の両方を指していました。上の話が本当なら、なぜに芸者に化けなかったのか…という疑問が残ります。
だから、遊女であり、御手当てをもらう現地妻だったという説も、一定の妥当性があります。
ちなみに、梅毒は出島経由で日本に入ったという説もあります。コロンブス交換の後なのは確実ですが、諸説あり、よくわかりません。

しかし、シーボルトはアジサイに妻の名を付けたほど彼女を愛していましたし、
それにしても、この手紙は、しっかりした草仮名を使っていて、教養人(たとえば、『源氏物語』を読んだり俳諧をやったりというかなり和文を読んだ人)のものです。
久しぶりに、個人的な楽しみのため影印をみて、いろいろ考えました(私は実は古文書解読はあまり強くはありません。あることから、強いふりをしなければならなくなりましたが(笑)

真ん中の「シイボルト」は、カタカナ。しかし本文はカタカナにしなかったということは、手紙の受け手のシーボルトも、草仮名が読めたと考えるのが妥当でしょうね。

だから、普通に考えると、たまたま医者であった彼は、むしろ研究熱心なジャパノロジストであり、場合によっては、諜報関係の人間だったとするのが妥当でしょう。

ともあれ、二人の系譜は今に続き、国内にもシーボルトの子孫が連綿と続いています。
写真は、シーボルトの孫娘、楠本高子。1868年撮影。

この人は、『銀河鉄道999』の、メーテルのモデルです。
美しい人ですね。


■「シーボルト様」切ない思い 妻の手紙、オランダで発見
(朝日新聞デジタル - 10月27日 17:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5350518
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