旧帝国陸軍で沖縄戦への揚陸部隊を編成していた、暁隊(今で言う水陸機動団・特戦群又は米海兵隊・SEALs)が呉で訓練中に広島で原爆が落ちた。
その時いた爺さんから話しを聞いた事がある。
→死ぬほど訓練した、アメ公をぶち殺してやるって思ってた。「話が違うじゃないか」と思った。 爆弾一発でパーだよ。何の意味も無い。
その後、広島への救援隊に投入され、彼も被爆した。
→沖縄でアメ公殺すつもりだったが、広島でたくさんの日本人を殺してしまった。 水をあげちゃいけないなんて知らなかった。本当に申し訳無いことをした。
→親が針職人だと言われ人をたくさん縫った。軍医がみな死に、軍医さん軍医さんと言われた。ドロドロで縫う場所なんか無い。何も解らないのに。半身が焼けて半身が生。鼻と唇と瞼が焼けたガイコツが助けてとみんな来る。
→沖縄で死ぬと思ってた。原爆で生かされてしまった。
→赤紙を2回もらった。召集令状と被爆者手帳だ。2回国にお前は死ぬと言われた。政治家なんてバカだよ。
→僕は敗残兵だ。
→嘘をつく政治家と、間違った政治は絶対に許すな。戦後、戸田城聖という人に会って嗚咽した。
彼は89才までの天寿を全うした。
彼の広島体験は余りに凄惨で書き著せない。
捉え方は人それぞれなのだろう。
岩窟ある老兵ほど平和主義者はいない。
原爆を投下 B29搭乗員の証言
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=5230082
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