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2018年07月19日09:47

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「ブラックファルコン飛行隊(隼飛行隊)」

私にとって、ハヤブサと言えば、新幹線より陸軍戦闘機の隼ですね。

ゼロ戦に比べて武装が貧弱、航続距離が短いなどと低くみられることの多い隼ですが、ゼロ戦はマイナーチェンジの度に航続距離が短くなりますし、そもそも長距離飛べるというのは逆に、ラバウルからガタルカナルまで往復2000km近く作戦行動させて、パイロットを疲労困憊させてすり潰したデメリットも大きい。

それに比べて隼は戦争末期においても熟練搭乗員・熟練整備員の組み合わせで最後まで奮闘したといえる。

まあ、戦争末期には陸軍も隼でカミカゼ特攻させるという愚行を犯しているが( ̄▽ ̄;)

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末期においても圧倒的不利な状況にて一式戦が活躍していた事例として、以下の記録が存在する。1945年(昭和20年)3月15日、バンコク付近にて飛行第30戦隊の一式戦2機が「第二次世界大戦最優秀機」と評されるアメリカ陸軍航空軍のP-51D 4機(当初は8機)と交戦、この一式戦2機は空中退避中にP-51D 4機編隊の奇襲を受けた劣勢にも関わらずまずその一撃離脱攻撃を回避、続く別のP-51D 4機編隊の攻撃は得意とする超低空域機動によってこれも回避、一式戦は反撃し1機(第1戦闘飛行隊第4小隊モダイン大尉機)を確実撃墜[15]。

日本軍・連合軍の戦果および損害報告記録たる一次史料をもってこれら一式戦の戦績調査研究を行った梅本弘は、自著においてビルマ航空戦における帝国陸軍航空部隊と一式戦の活躍を以下の如く述べている[16][17]。

(前略)空戦を児戯に類するほど単純に「航空機の損失と、撃墜戦果」という観点からのみ見れば、陸軍戦闘機隊は、質量ともに勝る英米の戦闘機隊に対して昭和20年の2月まで、ほぼ互角の勝負をしていた。

— 梅本弘 『ビルマ航空戦』 2002年11月 p.18
隼の損害、戦果ともに筆者の調査で確認できたものだけで、実際にはもっと多いはずだ。調査には限界があり、完全ではないが、昭和19年の後半から終戦まで、日本陸海軍の航空部隊が各地で目を覆いたくなるような惨敗を喫していた中で、主戦場から外れたビルマとさらに南東の辺境では、最後の最後まで、隼が信じられないような健闘をつづけていたのは確かである。

— 梅本弘 『第二次大戦の隼のエース』 2010年8月 p.124


「ブラックドラゴン飛行隊」伝説


ビルマ方面のアメリカ陸軍航空軍・イギリス空軍各飛行部隊の操縦者は、現地の強力なある日本軍戦闘隊を「ブラックドラゴン飛行隊」と呼称していた。第7爆撃航空群・第22爆撃飛行隊・第311戦闘爆撃飛行隊・第530戦闘爆撃飛行隊(米)、第67飛行隊(英)などの報告・戦記にこの「ブラックドラゴン飛行隊」に関する証言・記述があり、その内容は曰く「ガダルカナルからきた精鋭」「6機の零戦隊で、指揮官は黒塗りのメッサーシュミット109(Bf 109)」などとまことに想像力豊かなものであった[68][69]。

当然ながらこの方面は第64戦隊・第50戦隊等、主に一式戦を装備した日本陸軍航空部隊の担当戦域であり日本海軍の零戦は関係が無く、「ブラックドラゴン飛行隊」の正体は言わば「ブラックファルコン飛行隊(隼飛行隊)」となる。


■赤いはやぶさ、インド洋を越える 膨らむ建設費、曲折も
(朝日新聞デジタル - 07月18日 22:34)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5205884
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