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2018年07月14日09:26

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人が変わってしまったオダギリジョーさん

むかしから個性派俳優で怪優的な言われ方をされていたこともありましたが、
お子さんを亡くされてから人間が変わってしまった気がします。
ぼくは悲嘆に暮れる彼と奥さまのご様子を見てから、彼に対する見方がひっくり返りました。
こどもを亡くしたかなしみは、自分のからだを千切られるような心の痛みを伴うと聞きました。
しかもその痛みは生涯癒えることがないと言います。
そんな彼がこどもの死のあと、Eテレの幼児番組にレギュラー出演するようになりました。
何故。
言わずともそのお心は伝わります。
亡きわが子への鎮魂の想いがあるのは明らかです。
「チア・ダン」は演技かも知れない。
けれども、どう見たところで「わが子を亡くしたかなしみ」が彼の背中にありありと感じられる。背中に書いてある。そんな気がしてなりません。
彼を見ているのがつらく感じられます。

考えるまいとしても、考えてしまうことがあります。
それは「死んでしまった子を生かす方法があったのではないのか」と親が自問することです。
あの時ああしていれば、あの子は死なずに済んだのではないのか。
この自問について、はっきりしているのは、この問いかけが親の心を救うことは絶対にないということです。
実際にはこどもは死んでしまっており、今さらどんな手段を講じたところでよみがえることはないのですから、どんな自問も不毛な問いかけ以外の何物でもありません。
そうして自分自身を責めることは、決して出口のない「負のスパイラル」に彼らの心を迷い込ませてしまいます。
今になって誰を責めても仕方がないのです。

わが子を亡くした親は、死んだ子の歳を数えます。
「生きていれば、小学生」
「生きていれば、反抗期」
バカげたことかも知れない。それでも考えまいとしても考えてしまうのが人情であり、親心なのです。
親バカかもしれない。けれども時にはバカにだってなれるのが親というものなのです。
後ろ向きかもしれない。けれどね、こどもを想う心に前も後ろもないのです。


土屋太鳳主演「チア☆ダン」初回からトレンド入り “福井弁”にハマる視聴者相次ぐ
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=137&from=diary&id=5199771
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