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2018年06月25日04:00

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アポトーシス

福島の原発事故の風評被害は今も続いているし、わざと煽り立てている輩もいる。

東海村の事故の様に手元のバケツの中に核分裂反応のチェレンコフ光を見たとか、チェルノブイリ原発の事故で穴の開いた建屋の屋上から消火活動をした消防士の様に短時間で大量の放射線を浴びたなら別だが、人間には自己修復作用があるからそう簡単には死なないと思う。

現に福島の原発事故が直接原因でがんになったとか、死んだという人は未だ聞かない。

細胞にはアポトーシス(プログラム細胞死)という機能が組み込まれていて、DNA異常を起こした細胞は自殺するようになっている。

そもそもアポトーシスがあるから人は人に生まれてくる。

例えば胎児の時、人の指と指の間には幕がある。
個体発生は系統発生を繰り返す。
生命誕生からの歴史を胎内で再現している。

両生類だった頃持っていたひれの細胞は、アポトーシスによって死滅して人の指になってゆく。

命を維持できるのは常に細胞が自ら死んで入れ替わっているからだ。
詩人の言葉で分子生物学を語る福岡伸一さんの「生物と無生物の間」によれば

ー第9章 動的平衡とは何かー

砂上の楼閣
 
遠浅の海辺。砂浜が緩やかな弓形に広がる。海を渡ってくる風が強い。空が海に溶け、海が陸地に接する場所には、生命の謎を解く何らかの破片が散逸している気がする。
だから私たちの夢想もしばしばここからたゆたい、ここへ還る。

ちょうど波が寄せてはかえす接線ぎりぎりの位置に、砂で作られた、緻密な構造を持つその城はある。ときに波は、深く掌を伸ばして城壁の足元に達し、石組みを摸した砂粒を奪い去る。吹き付ける海風は、城の望楼の表面の乾いた砂を、薄く、しかし絶え間なく削り取ってゆく。
ところが奇妙なことに、時間が経過しても城は姿を変えてはいない。
同じ形を保ったままじっとそこにある。
いや、正確にいえば、姿を変えていないように見えるだけなのだ。

砂の城がその形を保っていることには理由がある。
目には見えない小さな海の精霊達が、たゆまずそして休むことなく、削れた壁に新しい砂を積み、開いた穴を埋め、崩れた場所を直しているのである。
それだけではない。海の精霊達は、むしろ波や風の先回りをして、壊れそうな場所をあえて壊し、修復と補強を率先して行っている。
それゆえに、数時間後、砂の城は同じ形を保ったままそこにある。
おそらく何日かあとでもなお城はここに存在していることだろう。

しかし重要なことがある。
今、この城の内部には、数日前、同じ城を形作っていた砂粒はたった一つとして留まっていないという事実である。
かつてそこに積まれていた砂粒はすべて波と風が奪い去って海と地に戻し、現在、この城を形作っている砂粒は新たにここに盛られたものである。
つまり砂粒はすっかり入れ替わっている。そして砂粒の流れは今も動き続けている。
にもかかわらず楼閣は確かに存在している。
つまり、ここにあるのは実体としての城ではなく、流れが作り出した「効果」としてそこにあるように見えているだけの動的な何かなのだ。

さらにいえば、砂の城を絶え間なく分解し同時に再構成している海の精霊たちでさえ、自らそのことに気づいていないにもかかわらず、彼らもまた砂粒から作られている。
そしてあらゆる瞬間に、何人かが元の砂粒に還り、何人かが砂粒から新たに生み出されている。精霊達は砂の番人ではなく、その一部なのだ。

むろんこれは比喩である。
しかし、砂粒を、自然界を大循環する水素、炭素、酸素、窒素などの主要元素と読みかえさえすれば、そして海の精霊を、生体反応をつかさどる酵素や基質に置き換えさえすれば、砂の城は生命というもののありようを正確に記述していることになる。
生命とは要素が集合して出来た構成物ではなく、要素の流れがもたらすところの効果なのである。

=中略=

浜辺に打ち寄せるある波が、偶々その一回だけに限って、砂粒の代わりにコーラルピンクのサンゴの微粒子を運んできたとしよう。
海の精霊たちは砂粒とサンゴの粒を区別することなく、そのサンゴ粒を使って砂の城を補修する。
削れた壁、開いた穴、崩れた場所に、砂の代わりにサンゴを詰める。
するとそこには何が見えることになるだろうか。

砂の城はこのとき、ちょうどダルメシアン犬のように、砂地の各所にサンゴ色のスポットがちりばめられた斑点模様を呈するだろう。
しかしこのとき私たちが目を凝らして見るべきものは模様そのものではなく、模様が流れる様子とその速度なのだ。

サンゴの微粒子を運んできた波は、次の回からは普段どおり、普通のくすんだ砂を波打ち際に運ぶ。
海の精霊達は黙々と自分たちの作業を続ける。
削れた壁、開いた穴、崩れた場所に砂を盛る。
するとサンゴの粒でできたピンク色の斑点はしばらくの間、その場所に留まったものの、やがては後から来る砂粒にその場を譲ることになる。

つまりサンゴが浮かび上がらせた模様は城を通り抜けて流れていき、城の一部として固定されることがない。
そしてこのことはサンゴの粒だけに当てはまることではなく、すべての砂粒一つ一つにいえることでもある。

砂粒はある瞬間、城のいずれかの一部でありつつ、次の瞬間には城から流れ去り、後から来た砂粒がその場所を襲う。サンゴの粒はちょうど澄みすぎて流れが見えづらい渓流にインクを垂らしたかのように、その流れと速度を可視化したのである。

=以上引用=



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