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2018年06月02日15:03

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(2014年)12/14 tricolor duo〜RINKA

tricolorのウェブサイトには,詳細未定ながら(2014年)12月14日(日)tricolor duoで札幌というスケジュールが早くから載っていた記憶です。

中村さんはO'phanのライブがあるようでしたので,いらっしゃるのは中藤さんと長尾さんかなとは思っていましたが,詳細はわかっていませんでした。

私がユカキラ等で上京する直前の(2014年)11月末,御出張で東京に滞在されていた当時函館の某M西さんは,私の薦めに従ってホメリのmin☆altを聴きに行かれたのですが,その際,中藤さんがマッサン関係のイベントで札幌の地下歩行空間にいらっしゃると教えてくださったという話が伝わってきました(M西さん御自身は札幌においでになりながらもダルシマーのレッスンが重なっていたとのことだったと思います。)。

近くなり,正確には地下歩行空間ではなく地下街オーロラタウンのオーロラスクエアにて,NHK札幌放送局主催によるマッサンに因んだイベントで,13時半から14時半までと15時半から16時半までの2回にわたり,お二人が演奏されるということがわかりました。

言うまでもなく,これは富貴晴美さんによるマッサンの音楽にtricolorや野口明生さんが深く関わっているからでもあります。因みに前日の(2014年)年12月13日には東京のキチムでtricolorの年間総決算的なライブがあり,それには富貴さんや野口さんもお出になっていたと思います。

これからマッサン北海道編の放映がスタートするというタイミングと,12月14日はリタさん誕生の日でもあり,現地に赴くと生誕118周年という祝賀ムードを押し出したイベントにもなっていました。また,この日は中藤さん御自身のお誕生日でもあり,祝意をお伝えできたらというという気持ちもありました。

また,竹鶴夫妻ゆかりの余市からはバグパイプやドラムの余市パイピングソサエティなる集団もキルトで参加されており,マッサンがなければtricolorと共演することはなかっただろうと思われるお顔合わせでした。

前後しましたが,この頃のJRは前年から減速減便が始まっており,13時半に間に合うよう,おそらくは8時13分発11時47分着あたりの北斗に乗ったのだったと思います(6時台の始発の次の便がこれだったのではないでしょうか。)。
当時のならいで,まず札幌駅北口の今はなき金券ショップで次に来るためのこれまた今はなき特急回数券を購入してから大通方面に向かったのだと思います。
この日はジャックで健さんの昼下がりソロライブもあったのですが,今回はtricolor優先にて時間帯が重なるそちらは断念することになりました。

また,この頃は,開業まで1年少々に迫った北海道新幹線のための走行試験が始まっており,これまた今はなき急行はまなすが頻繁に運休するようになっていました。
この日も札幌発のはまなすが運休する日になっており,本来であればtricolorの後は北斗が動いているうちに帰らなければならなったところですが,この日は嵐が札幌ドームに来ていた日でもあり,帰りの客のために深夜の臨時特急が走ることになっていました。
そのため,オーロラタウンからもほど近いガンゲットダイマで19時からRINKAのライブを観てから臨時特急で帰ることができそうでした。

オーロラスクエアには多くのパネルが展示されており,簡単なステージも設営されていました。NHKの見学に行くと貰えるような冊子類の入ったビニール袋も配られていたので,いただきました。

リタさん,竹鶴夫妻,ニッカ等に関する写真入りの年表や資料類がパネル化されていました。花子とアンもそうでしたが,通勤時間等の関係上マッサンの放映も普段は見ていなかったので,初めて知るようなことも多く,勉強になりました。

リタさんが訪れていたという小樽のお店や,今も北区に現存する大黒胃腸科病院の院長夫人もまた異国の人で,戦時下では同じ欧米人の院長夫人との交流がリタさんの救いになっていたのではないかと思われることなどなど。

イベントの冒頭では,当時を研究する小樽商大の先生や学生さんらによるトーク形式の講演もあった記憶です。そしてtricolorや余市パイピングソサエティによる演奏が続きました。

マッサンの放映を殆ど観ることができていなかった私は,サントラは通販で注文していたのですが,ちょうどこの日に留守宅に届くというタイミング。マッサンの音楽もまた聴きこむことはできていませんでした。

これに対し,多く集まったお客の中には,日頃親しむマッサンの音楽が生で聴けるというように感激しておられる方も多かったようです。

前方に家族連れの方々がおられ,ひょっとして中藤さんの御親族の方々かなあなどと想像していたのですが,どうだったのでしょう。中藤さんのお父様は北海道御出身で,tricolorの初北海道ツアーは,いとこの方の御結婚式を機会に実現したと伺った記憶があります(当時のやでのライブにも御親族の方々がいらっしゃっていいたようでした。)。

1公演目と2公演目との間の1時間のインターバルにジュンク堂や紀伊國屋書店のオーロラタウン店を訪れるなどして時間調整したのだったでしょうか。道南では入手できないというわけではありませんでしたが,当時ちくま文庫から復刊が進んでいた筒井さんの70年代日本SFベスト集成の第2巻72年版をこの日ジュンク堂で買いました。オーロラタウンの紀伊國屋では写真集を手にした記憶がありますが,購入はせずに通販で入手したのだったと思います。

2公演ともマッサンの曲に加えて,tricolorのオリジナル曲も披露され,2公演目で今日はリタさんのお誕生日ということだけれども自分もそうなのだとお話しされて始まったのがtricolorの初期からのキラーチューンともいえるAnniversaryでした。場内からは祝意が寄せられ盛り上がりました。

中藤さんと長尾さんのところに赴いて御挨拶したのは2公演目終演後だったでしょうか。私からも祝意もお伝えできてよかったです。

この時点で2週間ほど前だった ホメリでのmin☆altのライブに私の知人という客が来ていた旨のお話が中藤さんの方からありました。M西さんからの情報でも,北海道の友人のお薦めで来た旨をお伝えすると,中藤さんが私の名を挙げておられたとのことで光栄です。

健さんのお弟子さんなんですよとお伝えすると,その情報はなかったな旨をおっしゃっていた気がするのですが,この2週間後に道南から道北への帰省の途中で立ち寄った一風来で健さんM西さんと3人でお話する機会があり,その際に伺ったところでは,M西さんはホメリで健さんのことを含めかなりのお話をされたようで,星衛さんからは星直樹さんと星星コンビの演奏なども実現するといいなあ旨の御発言もあったとのことだったと思います。

その日は札幌泊というお二人とはその程度でお別れし,2時間程度の時間調整の後,ガンゲットダイマのRINKAのライブに赴きました。客席にはりびあんの田畑さんや馬頭琴の成田さんらもいらっしゃっていたようです。

道南時代は札幌に来たときにダイマでRINKAのライブがあるということが多く,けっこうな回数を観ていると思います。そのような時は急行はまなすで帰るのが常でしたが,運休のこの日も臨時特急のおかげで寄ることができた旨をお伝えすると,後に操さんが嵐さまさまですねといったコメントをくださいました。

星さんは中藤さん長尾さんの来札も御承知で,オーロラスクエアの様子についてお尋ねを受けたので,NHKや余市パイピングソサエティのこととともにお伝えすると,完全にマッサンのためのイベントだったのだねといった御反応だったと思います。

ライブの方はフランスのブーレが盛んに演奏されていたが,土の三部作のソイルセットはまだという時期でした。前作ramblingから2年経過して次回作の構想もそろそろ・・・といったお話が星さんからあったと思いますが,7枚目のアルバムは現在もまだ発表されておらず,実現が待たれます。

21時過ぎの終演後は,いつもの22時の急行はまなすより長く待った上で臨時特急に乗ったのだったと思います。リゾートエクスプレスに使われていたようなジョイフルトレイン仕様の気動車で,所要時間もはまなすより更に長く,ところところで長時間停車している最中にこちらも目を覚ますといった塩梅でした。月曜の早朝に函館駅に到着して,そのまま仕事をするのもいつもより大変でした。

この後の年末年始は9連休でしたが,職務上元旦は道南にいなければならず,一応年末に帰省はしたものの,年越しを待たずして道南に戻りました。この次は年末に立ち寄った一風来の健さんソロライブのことを書こうと思います。

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