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2018年05月03日22:03

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゚Д゚) < Haqeeqat (国境の真実 / 1964年ヒンディー語版)

日本人が抗日ドラマに「無反応」な理由、「日本人は強者しか崇拝せず、中国を認めていないから」=中国
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=97&from=diary&id=5096571

「日本人が強者を崇拝する民族であることが分かる」って言うなら、日本のカンフー映画ブームやキョンシーブームをどう説明していただけるのでしょうか…ウインク
 抗日的な要素の入ったブルース・リー映画だって嬉々として見る日本ですしぃ。戦争ものというジャンルが、そこまで大衆的人気を勝ち得てるわけでもないしぃ。そうか、カンフーやキョンシーは強いから人気があるのか! じゃあ武侠もの映画もチェックしなきゃ!!

 …まあ、それはともかく、戦争もの映画ってだいたい描き方が似てるから、コンテンツとしての人気が限定的になるってのはあるよなあ、と思いつつ、そういえばインドの戦争もので凄いのがあったなあ…と思い出したものをばひとつ。



Haqeeqat (国境の真実 / 1964年ヒンディー語版) 1964年 169分(184分とも)
主演 バルラージ・サーハニー & ダルメンドラ & プリヤー
監督/製作/脚本 チェータン・アーナンド
"我々は、かくも無惨なディワリ祭を見聞きしたことはない。これは暗黒のディワリだ"
"来年のディワリは明るくなるだろう…我らの血を犠牲にして煌々と輝くだろう。我が国は、隣国の裏切者を王の如く迎えたのだから!!"

https://www.youtube.com/watch?v=Q0M00MMnc5s

 この映画を、全ての献身の人々に捧げる。
 それは、ネルー インド初代首相が示し、1962年の国防の戦いに命を捧げた兵士たちが実践したものであるから…。
**********

 1959年から武力衝突が激化する印中国境線に近いシュリーナガル基地。
 その基地で、地元の山羊飼い姉弟と仲良くなったバハドゥール・シン大尉に頼まれ、上官のランジット・シン少佐が姉弟...アングモーとソヌ(別名ソナム)...とその母をラーマーユルへ運んで行く。彼女らは、ラーマーユルでしばらく過ごした後、レーにいる父親と合流して親戚のいるポーガランに行こうとしていた。そのアングモーと密かに恋仲になっていくバハドゥールだったが、すぐに最前線勤務を命じられ、姉弟へ別れの挨拶をする間もなしに出発することに。
 同じ頃、婚約者をおいて最前線に出兵してきたラーム・シンは、出兵後初めて彼女からの手紙を受け取った事を部隊の皆と喜び合っていたが、それも束の間、中国軍の進攻が始まる。
 敵を迎え撃つべく攻撃体制をとる部隊長のランジット・シン少佐に、基地司令は命令する。「いいか。向こうが撃ってくるまでは、発砲は許可出来ない。絶対にこちらからは撃つな!!」


挿入歌 Masti Me Chhedke Tarana Koi Dil Ka (楽しき愛の歌を歌え [愛のお宝を横取りしたヤツがいるぞ])

https://www.youtube.com/watch?v=bjHqi5XHMbc


わーい(嬉しい顔) タイトルは、ヒンディー語(インドの連邦公用語。主に北インド圏の言語)で「事実」とか「真実」の意だそう。
 1962年に起きた中印国境紛争を題材にした白黒戦争映画。本作は、女優プリヤー(・ラジヴァンシュ)の映画デビュー作でもある。
 後の2016年には、インド独立記念日の70周年記念として、国防省と映画理事会共同で開催された独立記念映画祭にてリバイバル上映された。

 いやあ…なかなかスゴい映画でありました。
 前半こそ「ほのぼの軍隊生活はこんな所だよドラマ」が展開する映画ながら、最終的にはインドが敗走することになる中印国境紛争の過酷さ、無情さ、国際社会はおろか自国民のほとんどからも顧みられることのなくなる軍人たちやその周辺の人々の怒り・憤りを表出するような内容に、ただの愛国映画や戦争ドラマを越えたインパクトに脳天叩き付けられるかのような読後感。

 そもそも、中印国境紛争は1950年の中国のチベット侵攻にともなう、チベット〜カシミールの中印国境線の不明瞭さから中国軍のインド進攻に始まり、ラダック〜ブータンの東側(現アルナーチャル・プラデーシュ州)で大規模な戦闘となったものを指す(期間としては、1962年10/20〜11/21)。
 当時、世界はキューバ危機に揺れて中印への注目がそれたこと、中国がチベット侵攻から周到にインドへの武力侵攻を準備していたこともあり、先制攻撃を仕掛けた中国軍が数で圧倒して、これに呼応したパキスタンのインド進攻による第2次印パ戦争のきっかけともなってしまう。
 結局、紛争は中国主導の政治決着による中国勝利で終わり、数々の禍根を残してしまったことが映画の中でも声高に語られている。

 監督を務めたチェータン・アーナンドは、1915年(1921年とも)英領インド パンジャーブ州ラホール生まれ。父親は弁護士で、弟に名優デーヴ・アーナンド、映画監督ヴィジャイ・アーナンドがいて、妹には、後にイギリス映画界で活躍する映画監督シェーカル・カプールの母親になる、シェール・カンタ・カプールがいる。
 ラホールの官立大学で英語学を修了。インド国立議会に参加し、BBCやデヘラードゥーンの学校で一時期働いていたそう。その後ICS(英領インド高等弁務官)試験に落第してから、ムンバイにて脚本の売り込みを初めて映画界入り。44年のヒンディー語映画「Rajkumar」で主役デビューし、46年に「Neecha Nagar (卑しき街)」で監督デビューしてインド映画初のカンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞する(この映画は、インド映画界初の社会派ドラマ映画ともなったと言う)。以降、ヒンディー語映画界で弟たちと活躍し、50年初めには弟デーヴと映画会社ナヴケータン・プロダクションを設立。53年の「Humsafar」に出演以降、男優活躍も再開。57年の「Arpan」からはプロデューサー業も始めている。
 97年、ムンバイにて76歳で物故。06年には、彼の最初の妻であるウマ・アーナンドとその息子ケータン・アーナンドによって回顧録が出版され、08年にはドキュメンタリーが製作されている。

 ヒロイン アングモーを演じたプリヤー・ラジヴァンシュ(本作でのクレジットは"プリヤー"のみ。生誕名ヴェーラー・スンデル・シン)は、1937年英領インド パンジャーブ州シムラー生まれ。父親は森林局の保護官をしていたそう。
 大学在学中に舞台演劇に参加。父親が国連の仕事に就いたことでロンドンに移住し、RADA(王立演劇学校)に進学する。この演劇時代の写真を見たチェータン監督に見出されて、本作で映画デビュー。以降、チェータン監督との仲を深め、しばらく彼の監督作にのみ出演し続けて、映画制作の様々な現場に関わって行き、その後チェータン・アーナンドと結婚する(チェータンは既婚者であったが、離婚の後プリヤーと結婚した)。
 86年の「Haathon Ki Lakeeren」を最後に女優引退。97年の夫の死後、その遺産の一部を相続するも、この相続権が元で先妻の息子ケータンとヴィヴェーク・アーナンドと対立。00年、彼らに依頼された男たちに自宅で殺害されてしまう(実行犯とそれを主導した2人は逮捕され、終身刑を科された)。

 主役その1ランジット・シン少佐役には、1913年英領インド パンジャーブ州ラーワルピンディー生まれのバルラージ・サーハニー (生誕名ユディシティール・サーハニー)。カルカッタの大学で教鞭をとったりガンディーの活動に参加したり、BBCロンドンのラジオアナウンサーを経て、43年に妻ダマヤンティと共にIPTA(インド人民演劇協会)に入って役者として頭角を現す。46年の「Insaaf」で映画デビュー後、夫婦ともに舞台と映画双方で俳優として活躍。その他、グル・ダットの「Baazi(賭け)」の脚本家としても英語著作やパンジャーブ語著作の作家としても有名になり、全インド青年党の党首としても活躍する。1973年の60歳の誕生日の約1ヶ月前、心停止によって物故される。
 本作では、なんとなくハンフリー・ボガートを彷彿とする見た目とシブい演技で、現場と指令の板挟みに苦悩する隊長を演じてくれる。

 主役その2バハドゥール・シン大尉役には、1935年英領インド パンジャーブ州ナスラーニーの教員(学校教頭)の家生まれのダルメンドラ(・シン・デーオール)。仕事探しの中で映画雑誌を頼りに映画界への売り込みを開始し、1960年のバルラージ・サーハニー主演作「Dil Bhi Tera Hum Bhi Tere」で俳優&主役級デビュー。以降、ヒット作に出演し続けてボリウッド・スターへの道を駆け上がり、政治活動やプロデューサー業でも活躍。
 最初の結婚が映画デビュー前の54年で、妻パルカーシュ・カウルとの間に現在映画俳優として活躍中のサニー・デーオール、ボビー・デーオール(他、娘2人)が生まれ、その後離婚に続いて79年に女優ヘーマ・マーリニーと再婚。2人の間に生まれたのが、女優イーシャ・デーオール(他、娘1人がいる)になる。

 基本的には、国境警備隊の日常とその戦場、ラダックの人々の生活文化を描いて行く映画で、そのため敵の中国人(演じているのは、モンゴロイド系のインド人俳優)は残虐性・卑俗性が強調され、山の向こうからわらわら現れては敵味方の死もおかまいなしにロボットのように進軍してくる姿の不気味なこと不気味なこと。
 それに対して、人員も武器の確保も満足に出来ていないインド軍側の苦悩、戦闘によって荒廃して行くラダックの山々(元々、高木すらない荒涼とした高山地域ではあるけれど、そこに人の手によって造られた道路や神像、家屋で現される生活文化の厚みが美しい)、地元民の誇りと軍人の誇り、ヒロインの憤怒が、最終的にインドと言う国を背負う怒りに転化して行きながら、目の前の敵に対する怒りと同等に現状を無視し現実逃避を続けるようなインド社会への怒りにも転化していく凄まじさ。
 それぞれのインド人キャラクターが抱える家族や恋人、故郷の人々ヘの思いが丁寧に描かかれ、現状への不満に対して所々で入る演説も嫌味でなく効果的。
 美しく牧歌的なラダックの生活が詳細に描かれることで、戦争に赴いた友人知人がどんな生活をしていたのかを、関係者その他インド社会全体に知らしめようともしているかのよう。現在も続く、インド国境地域の混乱に対して、単純に割り切れない様々な思いを凝縮したような作品である。


挿入歌 Ab Tumhare Hawale Watan Sathiyon (今、我々は貴方たちに国を譲ろう…友たちに譲ろう)

https://www.youtube.com/watch?v=lx1IH_ZJXWk
*わりとネタバレありにつき注意。


受賞歴
1965 National Film Awards 次席注目作品賞
1966 Filmfare Awards 美術監督賞(M・S・サチュー 【Phool Aur Patthar】のシャンティ・ダス & 【Gumnaam】のS・S・サメルと共に)



・本作主演の1人バルラージ・サーハニーが脚本として参加した、グル・ダット監督デビュー作「賭け (Baazi)」はこちら
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1961399844&owner_id=3570727



・Haqeeqatを一言で斬る!
「当然ではあるけれど、舞台となるカシミール地方の地名がドバドバ出てくるので、位置関係が頭に入ってないと混乱しまくりゼヨ」
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