ボクの音楽の原点は、’60年代ポップスから始まっています。
あの頃のTV「陽気なネルソン一家」の中で歌うリッキー・ネルソンの「ハロー・メリー・ルー」や、シェリー・フェブレイの「ジョニー・エンジェル」など、TVとリンクしたものも多かったのです。
当時の一般家庭には、ステレオの高級オーディオ・セットなんてありませんでした。
タンスの上に置いてあったラジオから流れる、ベース音なんてほとんど聞こえないスカスカな音が日常でした。
音楽でも落語でも、なんでも聞いていましたが、ゆっくり流れる時間とともに、それはとても心地よいものでした。
この時代は、洋楽が入ってくるのが遅くて、カバー・ポップスのほうが先に流行り、だいぶ後になってから、本家の洋楽を聞くなんてこともあたりまえでした。
ボクが芸能界で一番初めに好きになった女の子が、「パイナップル・プリンセス」を歌って人気のあった田代みどり。
彼女がうたう歌の中で「背え高のっぽの彼と〜♪」なんて歌われると、「ああ、おれのこと歌ってる♪」なんて、勝手にカン違いして喜んでいました。
そうこうするうちに、弘田三枝子が「子供ぢゃないの」で鮮烈なデビュー!
そうは言っても、まだまだ子どもなのに、抜群の歌唱力で世間を驚かせてくれました。
たぶん15才ぐらいだったと思うのですが、すでに出来あがった歌声とリズム感で、完璧な歌声を聞かせてくれました。
A面よりもB面の「悲しき片思い」が、とってもせつなくて淋しくて大好きでした。
本家のヘレン・シャピロも良かったけど、こちらも子どもなのに、もっと太い声をしていて、ジャケットから受ける女の子のイメージからは、なんとも予想外でした。
当初、ビートルズは、この子の前座として演奏していましたが、あっという間に人気が出てヘレン・シャピロを抜き去り、トップ・スターになって行きました。
安いコロムビアのポータブル・レコード・プレーヤーに、ドーナツ盤をのせてピック・アップを上げると、ターン・テーブルが回り出します。
レコードが傷つかないように、盤のいちばん端っこにそ〜っとサファイア針をのせると、軽い「プチン・・・」というような音がして、大好きな曲のイントロが流れてきます。
これら一連の動作を目で追いながら音楽を聴く・・・こうしたひと時がとても楽しく、充実した生活の一部となっていたような気がします。
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