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2018年01月12日06:54

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量と質:そのステレオタイプ的な理解

 少し前に俳句の規則の話をしましたが、量と質についての話に転じましょう。量と質は異なるもので、量は数学的に表現でき、質は直接に感じとられるものというような区別が遥か昔から受け入れられてきたようです(では、「質量」と言う語彙は一体どんな意味になるのでしょうか。*この問いを英語でしてみると、この問いが大した意味をもっていないことがわかるでしょう。)。量とは数によって表すことができるもので、身長や体重、国土や都市の広さ、山の高さ等様々な量があります。一方、質は感覚的な色や匂い、製品の品質等、一般には数的な表現ができない、あるいはそれが困難と思われているもので、精神的なものはもっぱら質として扱われてきました(精神的、心的なもので量的なものは果たしてあるのでしょうか。確かに大きな悲しみ、僅かな楽しいと言いますが…)。実際、日常生活では、量は数詞によって、質は形容詞によって表現されてきました。
 では、どんな量も自動的に数的な表現ができるのでしょうか。そんなことができたら、人類の歴史はすっかり変わっていたことでしょう。「重いこと」と100kgとはまるで異なることです。量(そして、質)をどのように数的に表現するかの工夫と努力が知識を生み出し、今日の文明を生み出したといっても過言ではありません。「数量化」などという表現に惑わされてはなりません。数と量はそもそもまるで異なる概念なのです。それをはっきり示す証拠となれば、量を扱う数学が幾何学、数を扱う数学が算術や代数、これらが異なる数学であるというのがギリシャ時代の常識だったことを思い起こせば十分です。
 質が数で表せないというのも真っ赤な嘘です。水質も品質も測ることができ、(米や麦の)等級さえ正確に数的な表示が可能です。大抵の性質は比較することができ、それゆえ良質なものと悪質なものの区別ができ、それを精巧にしようとすれば、数的な表現になる訳です。
 量と質を数を使って表現すること、そして表現された数を自由に演算可能にすること、この二つが幾何学の代数化であり、それを可能にした一人がデカルトでした。量も質も数で表現するには同じように工夫が必要で、量=数でも、質≠数でもなかったことに注意しておかなければなりません。
 質と量、そして数は、このように意外に厄介な関係を引きずってきたことがわかったと思います。中でも、その厄介な関係を清算して、数の適用を質や量に対してスムーズに行うことが「自然の数学化」に大いに貢献したのです。この点についてはガリレオの自然の数学化を批判したフッサールも文句は言わない筈です。
 これまでの話をもう少しフォーマルに展開してみましょう。古代ギリシア以来、数と量という概念は峻別され、『原論』では、次のように考えられていました。

1. 数とは、基数(事物の個数を表す数)のことである。
2. 量とは、長さ、広さなど(後に重さ,速さ等も入る)互いに比較可能なものである。
3. 同一種類の量だけが比較できる。

同種の量しか比べられないということは,直観的にはその通りで、身長と体重を比べたり、温度と湿度を比べることは確かに意味がありません。ギリシアには量の積がなく、それゆえ数の積もないことになります。
従って、量の追放が純粋数学の成立に不可欠でした。数概念の確立に至る歴史とは、ギリシア以来数学における最も重要な概念のひとつであった量という概念が抹殺されるまでの歴史と言うことができます。量という外的世界とつながる概念が数学から追放されたことと純粋数学という概念が自立したこととは同じ意味と捉えることができます。19 世紀に入って数学の「算術化」運動が起こります。これはすべての数学は算術に還元できるという思想に基づいていて、量概念が駆逐されたのもこの運動の一環としてでした。
 数と量の統合に向けての歩みを見てみましょう。ディオファントス(『算術』:AD 3世紀頃)は分数(有理数)を数と認めました。これがアラビア世界、そして西洋に受け継がれ、「数」と言えば、分数を指すようになっていました。ずっと時代が下り、技術者シモン・ステヴィン(1548-1620)による小数の利用は数を線型的に捉え、それぞれの数を平等に見ることに大きく寄与しました。ステヴィンの著書『算術』(1585)では次の様に述べられています。
(a)数はそれによって物の数量が説明されるものである。
(b)数は連続的で、連続的な水が連続的な湿度に対応するように連続量は連続数に対応する。
(c)馬鹿げた数、無理な数、不規則な数というようなものはない。
 ヴィエト(1540-1576)は代数の曖昧さは幾何学的な次元を統一しないことに由来すると主張し、次元の統一を要請しました。つまり、現行の記号で書けば,x3 は立方体を表し、x2 は正方形を表すのだから、x3 +3x = 2といった式はナンセンスであるという指摘です(x3,x2はそれぞれxの3乗、xの2乗)。ヴィエトは自分の創始したパラメータを表す文字を使うことによって、たとえば、x3 + 3a2x = 2b3というように次元を統一することを提案しました。これはデカルトの「すべての量は線分として把握できる」という主張の先駆であると考えられています。
 デカルト(1596-1650) は幾何学的な量の概念の1 次元化を行いました。a3 (aの3乗)はa2 • a と定義され、線分で表すことができるという主張です。しかし、負の量を扱っていませんし、また座標系という概念を創り出したと評価するのも正しくはありません。オイラー(1707-1783) は「数とは,一つの選ばれた単位の量に対する比以外の何物でもない」(『代数学入門』:1768)と述べています。オイラーのこの言葉は数を論じるときの決まり文句となって流通し、負まで込めた直交座標系はオイラーによって初めて使われました。
 有理数体から実数体を構成する(あるいは,説明する)方法は、周知のようにメレーおよびカントール、ワイヤシュトラス、デデキントによってそれぞれ提案されました。メレーおよびカントールの方法は「有理基本列」によって、またデデキントは「切断」という手法によって、実数を定義します。フレーゲも『算術の基本法則』第II巻(1903)において独自の実数論を展開しています。これは完全に伝統的な見方に従って、実数を量の比と捉え、基数と実数を截然と分離する考え方を貫いたものです。

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