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2017年11月01日06:36

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映画「物置のピアノ」を観る(完成原稿 後編)

諏訪神社のお祭りの日。春香は自分でうまく浴衣を着つけたつもりだったが、後ろの帯が曲がっている。やっぱり女の子としての作法というか、自分を魅力的に見せる技は、姉の方が二枚も三枚も上である。逆光のさす和室で、姉は妹を諭すように、妹の、まだあどけなさの残る顔にうっすらと化粧をしてくれた。化粧をしながら姉は本音を打ち明けた。
束縛を嫌い自由闊達な生き方を望む彼女は、自然が豊かでひとびとが温かいが、噂好きで個性的才能を許さない桑折町の狭い地域性が窮屈で耐えられない。こんなところにいたら自分の長所は生かされず、次第に駄目な女になっていってしまうんじゃないか。そう思うと怖くてたまらない。自分とは合わないなさぬ仲の妹なのに、姉はそんな誰にも話さないような秘密を春香に打ち明けた。そして春香の唇に紅をさしながら、いきなりこんなことを言い出した。
あんたさ、桃畑継ぐつもりなんでしょ? あの男の子から聞いたよ。それって颯太のため? 颯太がおぼれたのはあんたや祖父ちゃんだけが気に病むことじゃない。あのとき私だっていたんだから。それにね、跡継ぎどうとかって、長女が考えてやるものなんだよ。
そう言われて、春香はどう答えたらいいのかわからなかった。秋葉は妹の化粧を完了させると、自分の簪を春香の髪にさした。そうして彼女は行ってしまった。ひとり残された春香は鏡を見て驚いた。これが私? 自分のあどけなかった容貌が、見違えて見えた。この顔を誰かに見られることを思うと、胸のときめきが収まらなかった。
諏訪神社への隧道を出ると、そこに康祐が待っていた。加奈子は彼と先に行ってしまったそうだ。けれども康祐は春香をずっと待っていてくれた。うれしかった。
いつもと感じ違うね。
やっぱ、変よね。
いや、そうじゃなくて。ほら行くぞ。
唐突に康祐は歩きだした。春香があんまりきれいなので、見ているのが苦しくなったのだろう。そのあとをついてゆく春香。
ここからしばらく一切の台詞がカットされている。祭りの風景が映し出されるが、どうやら撮影用の祭りではなく実景のようである。春香の楽しそうな顔。花のようだ。康祐の前だと彼女は自分らしくいられるのだろう。まるで小鳥のように闊達な彼女を初めて見た。甘味処に康祐の浪江時代の友だちが来ていた。康祐は輪に加わり楽しそうだが、春香は置き去りにされた気持ちである。思わず友だちを見に行ってくると嘘をついてしまう。
夜道で一人になってしまった春香。道の向こうにしょんぼりと加奈子がバリケードに凭れていた。「ちゃんと青春してんじゃん」。何かすねたような、いつもの素直な加奈子らしくない言葉である。自棄になっているのだろうか。彼と大げんかしちゃったという。さっきまでどろどろの愛憎劇を繰り広げていたなんて言う。春香には何のことだかわからない。そのとき、初めて加奈子の口から妊娠のことを知らされた。先日、彼女が憂鬱な顔をしていたのは、彼を支えたいと思うあまりの勇み足に近い行為をしてしまったことへの後悔なのだろうか。初めてのつわりを経験し、避妊しなかったから、女子高生の彼女は不安におそわれて病院に行ったのだ。今はもう3ヶ月になっている。彼が初めて聞かされて、当惑したのは加奈子とのセックスが一時の気の迷いだったことなどではない。生まれてくる赤ちゃんが放射能の悪影響を受けていたらどうすればいいかという、福島の若者ならではの悩みであった。加奈子には信じられないことだった。そんなことはどうあれ、彼の口からそれを聞きたくなかった。自分のおなかにいるのは愛する人のこどもであること。そのことこそが何より重要なのだ。それで何が何でも生むから。そう言ってしまったのだと言う。私、彼が好き。おなかの子も、この町も好き。そのどれか一つでも失くしたら、自分の生き方と違う気がするんだ。私、彼の言うこともわかるの。私、この子のためにうんと勉強する。そしてもう一度彼に向き合って、ちゃんと話をしたい。後悔の人生だけは歩みたくないもん。加奈子の懸命な笑顔を見て、春香は彼女を抱きしめずにはいられなかった。
大丈夫だよ。加奈子なら。
ありがと。
ほんとうにすばらしい青春映画である。こんな作品なら大人もいっしょになって、悩んだり共感したりできる。加奈子もすばらしい女の子だし、春香もほんとうにいい子である。ぼくはこの場面あたりから、胸の苦しさに耐えかね、涙を必死にこらえていた。この映画の登場人物は誰もが懸命に現実と闘い、真摯に生きている。だから感動するのだ。これを偽物の感動だと言うのなら、本物とは何なのだ。
そして物語はここから急展開を見せる。消防車のサイレンの音が町に鳴りひびいた。その方角はまさに春香の家のある方である。行ってみると、あの物置のある納屋が半焼状態。物置で祖父ちゃんが隠れて煙草を吸い、ぼやを出してしまったのだ。春香にとって最悪だったのは、あのアップライトピアノが火にさらされたこと。焼け跡に入り、ピアノの前に立った。蓋を開けた。鍵盤は無事だった。けれど音が出ない。高熱でピアノ線が切れてしまったのだろう。
康祐の家でも大きな出来事があった。父の就職が決まった。死人のようだった父が別人のように生き生きと朗らかに笑い、自炊している姿を久しぶりに見た。東京へ引っ越すという。
桑折町ではお盆の支度が始まっている。仏さまを迎える準備。苧殻を焚き、秋葉が茄子や胡瓜の牛や馬を作った。けれども春香はあれ以来焼けた物置のピアノの前に坐り、音の出ぬ鍵盤を押しつづけている。春香がどれほど繊細な、ガラスのような心をもった少女であることかが、つたわる。彼女の心のピアノも沈黙してしまった思いなのだ。彼女の中の何かがこわれてしまったのだ。自分の言葉をなくした思いと言ったらいいだろうか。吹奏楽部の活動にも参加しなくなったのはそのためなのだろう。春香。元気を出せ。康祐くんが、加奈子が、吹奏楽部のみんなが、颯太の御霊が君のことを心配しているよ。
姉が妹をみている。どういう気持ちなのか。察するに余りある。はらわたが煮えくりかえっているのだ。ついにたまりかねて、秋葉が妹をなじった。いい加減にしな。現実は後戻りできないんだよ。音の出ないピアノなんか放っといてちゃんと向き合いな。若いんだから、前向いて生きないでどうするんだよ。
そう言って、無理やり妹を取り押さえると、表へ抛りだした。そして地べたに押し倒しその上に馬乗りになった。
ピアノを弾くなら弾くで、ちゃんとピアノに向き合えばよかったじゃない? 何を逃げているのよ! あんたのそういうとこが昔から大嫌いだったんだよ!
お姉ちゃんにアタシの気持ちなんかわかんないよ! なんでも大目に見てもらえて、甘え上手で、何だってできるじゃない。アタシだってそんなお姉ちゃんが大っ嫌い!
あんた私に勝ったじゃない。物置でピアノを弾くたびにどんどん上手くなっていったじゃない。私は内心焦ってた。あんたに勝てるものが何一つなくなったら、私は何のとりえもないつまらない女の子になっちゃう。颯太もいないし、おじいちゃんがあんなに苦しんでいるんだよ。どうやって生きてゆけばいいのかわからなかった。いまだってね、いまだって無我夢中でもがいているだけなんだよ。あんたに負けたくないその一心で。
春香は驚いていた。驚いて姉の泣き顔を見つめていた。姉からそんな弱い女の子の本音が飛び出すなんて、思ってもみなかったのだろう。
自信なんてどこにもないんだよ。何にもできない駄目な子で。何を目指したらいいのかわかんない。だめなのは私の方なんだよ。
春香はもう何を言うこともできなかった。
その夜。春香は台所で桃を剥いている。一個丁寧に剥いて、それを食べやすく切った。皿に盛り仏壇にもってゆくと、桃を颯太の前に供え、手を合わせた。御明のまえに目をつむった。そして、しずかに目をあけた。奇蹟を目にしたのはその時である。仏壇から一匹の蛍が現れ、やさしく明滅しながら春香の目のまえを過り、仏壇を出、そうっと暗い居間を通っておもてへ出て行ったのである。そして庭を横切ると、蛍は物置の中に消えていった。春香は信じられないものを見る思いでそれを見つめていた。引きよせられるように、物置の中に入った。誰もいないのに明かりがついており、蛍はピアノの前へ。驚いたことに火事でただれた姿のはずのピアノが、その晩は元の姿のままそこにあった。これはおそらく冥途の颯太からのメッセージなのだ。鍵盤が開かれてあり、蛍が鍵盤のうえに舞い降りるとそこから音が聞こえた。そして誰もいないのにピアノがいきなり音楽を奏ではじめた。パッヘルベルのカノンである。思わず春香は目に見えぬピアニストと連弾をした。その時だ、いきなり地鳴りがして物置が揺れはじめた。地震である。春香はピアノが倒れぬよう必死でしがみついた。
地鳴りが止んだ。揺れが収まると、ピアノは現在の焼けただれた姿に戻っていた。魔法は消えてしまった。春香は落胆のあまり椅子に座りこんだ。煤と埃をかぶった鍵盤に手をおいた。けれども怖くて鍵盤を叩けずにいると、いつの間にか姉がかたわらに立っていて、カノンの低音部の音を左手で奏ではじめた。さらに右手を加え、隣に座るとカノンの低音部を豊かな音律をもって弾きはじめた。音が出る。もう音が出ないはずのピアノが。つられてカノンの高音部の旋律を弾きはじめる春香。かつて祖父や颯太に聴かせた姉妹の久々の連弾。しずかに盛り上がってゆく名曲カノン。こんなに感動的な光景があるだろうか。そこへ家族が墓参りから帰ってきた。みんな聴き惚れている。夏の夜の夢だったのだろうか。うつくしい奇蹟的な場面であった。
この場面の意味するものは何だろうかと考える。繰り返し本作を観ていてやっとわかった。これがお盆の夜に起きたことも重要である。震災によって何もかもが失われてしまったけれども、何かを甦らそうという気持ちさえあればものごとは必ず甦るのではないか。亡くなった人たちの心を大切に考えるなら、冥途に行った仏たちがいまどんなことを現世の人々に望んでいるのかを考えたとき、今生きている人たちも腐らずに真摯に生きれば、奇蹟だって何だって起こせるのではないのか。奇蹟を起こすのは人の心であり、どれほど世の中がすさんで、駄目になってしまったとしても、焼けただれたピアノに音がよみがえるように、よみがえるものはあるのではないか。監督が言いたかったのはそのことではないだろうか。それは、この映画の最も重要な「魂」であり、核となる名場面中の名場面である。違うだろうか。
さてきょうはチャリティ・コンサートの当日である。康祐の父の姿もある。春香の祖父もいる。ショウのトリは吹奏楽部の演奏である。うつくしいクラシックの楽曲を披露したが、観客の反応はいまいちである。はっきり言わせてもらうと、選曲がよくない。もっと有名曲であったり、ハイブローでない親しみやすい曲を演奏したりすべきである。これでは「俺たちのレベルはこんなに高いんだ。低俗なあんたらとは違うんだよ!」と勝ち誇っているように聞こえてしまう。喧嘩を売っているのではないのである。「これで終わりか。何だかよくわかんなかったなあ」と声が飛んだ。部員たちが戸惑っている。その時である。春香の祖父が立ち上がって、叫んだ。
「うさぎ。やってけろ」。
うさぎ? 何のことだろう。春香は祖父を見て問い返した。「おじいちゃん?」。祖父はなおも言った。
「お嬢ちゃん。うさぎ。やってけろ」。
部員の一人が困惑して言った。「何だよ。うさぎって」
けれども秋葉にはわかったようだ。姉は妹にだけわかる視線を送った。思い出すのは聡太と3人でやった、歌の遊びだ。春香。うさぎだよ。わかるよね。
会場の人もわかったようだ。拍手が沸きはじめた。姉の目を見て妹は確信した。
わかった。うさぎ。やります。
素早くピアノの前に坐ると、一呼吸置いたあと、おもむろに鍵盤に指を置いて奏ではじめた。流麗な前奏曲のあと、弾きはじめたのは何だったか。
それは「ふるさと」であった。祖父が歌いはじめた。観衆がみな声を合わせて歌いはじめた。吹奏楽部のみんなが楽譜もないこの曲を奏ではじめた。物語のクライマックスである。

兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川
夢は今もめぐりて 忘れがたきふるさと
いかにいます父母 恙なしや友垣
雨に風につけても 想い出づるふるさと
志をはたして いつの日にか帰らん
山は蒼きふるさと 水は清きふるさと

兎を追いかけたあの山 小鮒を釣ったあの川
夢はいまも心をめぐり 忘れられないふるさと
どうしているだろう父さん母さんは 元気に暮らしているだろうか友だちは
雨がふるたび 風がすさぶたび 思い出してしまうふるさと
自分の志したものをやりとげ いつの日にか帰ろう
山は蒼いふるさと 水の清くうつくしいふるさと

こんなに感動的な「ふるさと」のメロディを聴いたのは初めてである。
そのあと福島県各地の現在の風景が映像として流れる。うつくしい清流の小川がいまもあり、ゆたかな田や畑があり、ひとびとがいて生活があり、こどもたちが毎日笑って暮らしている。一方で人の住まぬ街があり、廃田に打ち上げられた漁船がそのままの状態で残されている。かたわらに置かれているのは鎮魂の花束である。こんな光景を見、平気でいることはむつかしい。福島県民の暗澹たる思いが伝わる。

縁側。父が秋葉に告白した。父さんな、定年したら桃畑に専念することにした。
留学のことだけれど、悪いが援助できないよ。春香のことだよ。あいつはなかなか気持ちを話さない。それで気づくのがこんなに遅れてしまった。あいつはピアノなしには生きられない子だ。あの子の生きる支えだ。だからな、今はあいつの背中を押してあげたいんだ。いいか。
うん。いいよ。
おまえと違って春香はむつかしい子だ。でもあいつの気持ちを大切にしてやりたい。

そのころ、春香は駅にいた。康祐が父親と東京へ発つ日なのだ。
春香は自分の大切なキーホルダーを康祐に差し出した。
いいのか? これ君の大事なやつじゃない?
だから。
わかった。大事にする。
と、もう列車がやってきてしまった。列車はとまり、ドアが開いた。父親が乗り込み、康祐が乗り込んだ。
康祐が春香を見た。
じゃあ。
じゃあ。春香はほほ笑んだ。あっけなくドアは閉まり、列車は行ってしまう。
春香は後を追わなかった。ただいつまでも見送っていた。あまりにも淡泊な別れの場面であった。もっと感動的な別れを期待していた観客もいたかも知れない。けれど、それは必要ないのだと思う。春香はそれをしない女の子であり、彼女の心の表し方は今まで見てきて観客はわかっている。彼女の眼を見ればそれがわかるのだ。もう感動は十分頂いている。これでもかの追い打ちはいらない。

ただ、監督さんに申し上げたいNGの場面がこのあとにある。
後日談のようなエピソードというかきれぎれの、登場人物のその後をやってみせる場面が付け加えられているけれど、これは必要ないシーンとしか言いようがない。桑折町の皆さんがその後もこんなに頑張っていますなんて場面は、スポンサーからの要望で挿入させられたか、監督が情に流されたかどちらかかもしれない。もっとここは映像表現を工夫してほしかった。こんなダイジェストにするのではなく、春香のナレーションもできれば削るだけ削るかどうかしてラストシーンへつないでほしかった。似内さん。あなたが考えている以上に、この映画は非常に良質な優れた映画だと思います。だから、説明はできるだけ省き、もっとここはストイックな演出をしてほしかった。福島県の中通りの桑折町のみなさん。やらなくてももう十分伝わっています。アピールは要りません。

ラストの昭和音大受験の日の、芳根京子のピアノ演奏の場面。彼女の凛々しくはりつめた表情。ピアノの前に坐った時の横顔の緊張。それがこの感動作のラストに余りにもふさわしかったこと。そして、彼女の白い手がピアノの鍵盤の上に乗り、さあ弾き出すという、その瞬間で映画は終わる。偉い。これ以上のラストはないと言う、名ラストシーン。芳根京子のこの映画でのいちばんいい演技はここであった。

子役の姉弟3人について。姉、秋葉もタレント性豊かでよかったが、一番いいのは颯太の天真爛漫さである。台詞の言い方もいい。笑顔もいい。この子には文句がつけられない。完璧であった。制作者はよくぞこの子を抜擢してくれたと思う。芳根京子のキャラクター、そしてピアノのすばらしさ。それとこの男の子が映画を重苦しくなることから救っている。織本順吉の名演とともに、この映画を素晴らしい感動作にした立役者である。

DVDを購入して以来毎日のように観ていますが、印象が劣化することがない。新しい発見が観るたびにあり、新しい感動もある。本当にいい映画に出逢えてよかったです。
芳根さん。ありがとう。これは、君が頑張ってくれた結果、実を結んだうつくしい果実です。ほんとうに大切なこころが、ここにはあります。
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