すごい豪雨だったんだ。 大屋さんの話によるとここは植林を
していたそうだ。 死者34名、まだ行方不明者数名。
被災者の方々に心よりお見舞い申しあげます。
父が朝倉あたりに行った時の写真があったと思ったので探して見た。
裏に浮羽と書いている。おしろい祭りの俳句もあったのでネットで探した
ことあり、朝倉だった。お宮の庭に敷物を敷き、机が一つ。
俳句会のメンバーと地元の人たちと写っている。昭和60年。
父の俳句会の記録を見てみた。その中に宝珠山伊東温泉吟行というのがあった。
検索して調べて見ると朝倉郡の東峰村だった。伊東屋旅館、このお部屋から清流、
蛍や汽車がご覧いただけますと書かれている。
被災後テレビで一軒取材していたところだろうか。
道路でぶどうを売ってたおじさんがいた。父はその人から買ってきてくれと言った。
朝倉の人だったようだ。
吟行の時の父の俳句。
清流にとびとび咲きて菖蒲の座
薫風に宿の女将の愛想よき
玄関に十歩を置きて螢川
群青の聳えて夏の空狭く
運命かも知れぬ出会いや螢川
梅雨の月昇りそめたる夜のしじま
旅館の環境と一致する。東峰村にも行ってたんだなぁ・・・
ずいぶん前、テレビで予言の番組をやっていた。
聖徳太子が水の絵を描いてると。「これは洪水ですかね。」と
司会者が言っていた。勢いのある水の絵、最近洪水が多いが
当たったということか。
ログインしてコメントを確認・投稿する