スバル660四輪スクーターは奥会津へ。三島町の小学校横のレールを渡って三島神社に行ける。そこは正式の通路ではある。鳥居が二つあるが、その間に鉄路が通る。
上の方の桑原公民館隣にも三島神社があり肝入りが親戚だったからと考えられる。
どういう事情か、配布ではないかとも考え中。
こりゃすごいぞ、境内を線路が通るではないかい。
有名になろう。
帰りに柳津町の道の駅で足湯を行なったがこれは一回では聞かなかったかもしれんが重症だ。良いと思った。神は味方するであろう。
あそうだ、只見川河岸段丘に縄文文化が花開いた。石生前遺跡の
縄文館がある。火焔土器と一般に呼ばれているものが火炎部分にボツボツが並べられどうも蛇の尻尾が上向いてるようなデザインのものとも今思いついた。持つために丸い輪状の造りはあったと思う。甚だ観察ができていない。縄文館は時間で閉まっていたがロビーにもある。埴輪のようなものは縄文からあったようだ。謎 笑い
なぜ川岸に温泉が出るのか、知らないが河岸段丘の暮らしは
河川をりしていたことは論を待たない。笑い
納谷段治郎元政は街に戻った。
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