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2017年03月26日15:50

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「哭声/コクソン」

18日は 「哭声/コクソン」(2回目)、

20日は 「わたしは、ダニエル・ブレイク」
      「SING シング」、

21日は 「追憶」(ドキュメンタリー)、

22日は 「ミルピエ〜パリ・オペラ座に挑んだ男〜」
      「エイミー、エイミー、エイミー! こじらせシングルライフの抜け出し方」、

24日は 「パッセンジャー」
      「この世界の片隅に」(4回目)、

25日は 「クェイ兄弟−ファントム・ミュージアム−」(上映会&講演会)美術展

      を観に行きました。


「この世界の片隅に」、とうとう福岡市内での上映が終わってしまうので
最終上映に行ってきました。
まだまだお客さん入ってるじゃないか…!
観客は明らかに複数回観ている人たちだと思いましたが。

「パッセンジャー」、SFの設えだけど
ただの恋愛映画だった!つまらねー!(笑)
ポーランド映画の未完の傑作「パサジェルカ」と同じタイトルなのにー…。
正確にはパサジェルカは女乗客なのかな?
樹村みのりがマンガ化しているのよ。




「哭声/コクソン」 ’16 (韓)


監督・脚本:ナ・ホンジン 撮影:ホン・ギョンピョ 美術:イ・ウキョン
衣装:チェ・キョンファ 編集:キム・サンミン 音楽:チャン・ヨンギュ,タル・パラン
m:クァク・ドウォン,ファン・ジョンミン,國村隼
f :チョン・ウヒ


『チェイサー』のナ・ホンジンの新作。
ナ・ホンジンは怒涛の展開で観客を大波に攫い
いったいこれがなんの映画か考える暇を与えないのだ。
山間の村で起きる一家殺害の惨劇が一警察官の視点から語り出されるのだが
その警官 臆病者ジョングのトホホな生態を笑いながら
推理サスペンスを期待していると
よそ者日本人についてのまことしやかな噂話が村人たちに浸潤して行き
これは異質を排除する人間の内奥を描く
心理サスペンスなのか?と思っていると
いかにも胡散くさい祈祷師が登場して
騒々しくも鉦や太鼓を打ち鳴らしてお祓いを始めるのである。
新米神父まで登場してエクソシスト状態になると
次には死人が蘇えり人を襲い始め
ゾンビ映画かよ!と突っ込んでしまう。
そしてついに冒頭のエピグラフの意味が明かされ
これが“悪魔”の巧緻な言説に翻弄され真実を見誤る
人間の愚かさの物語だったのだ…と解かるわけで、
その時には、
散々引っ張り回されてへとへとになった頭が
國村隼の不気味な爪がカメラを構えシャーッターを切るのを
唖然として眺めるしかないのである。
映画の「姿」が判らないことがこんなにくたびれるとは…!
欧米のキリスト教圏のこの手の映画が
お話の展開につれどんどん悪魔が陳腐さを露呈して
(悪魔崇拝者の集会だの サバトだの 聖職者とのケバケバしい対決だの)
興趣を削がれるのと反対に、
ナ・ホンジンは本当に最後の数分で
これが“悪魔の甘言”の物語であることを見せるだけで、
そこに至るまで観客は
“何が何だかわけが分からない”血みどろの映像の海を
木端船に乗った気分で激しく昇降し続けるのである。
船べりに摑まり船酔いに悪態をつきながら
この暴風の先を見晴らしたくて。
『アシュラ』の悪徳市長(ファン・ジョンミン)と
野心家の検事(クァク・ドウォン)に
我らが國村隼のおやじどもが
ど田舎の山中でずぶぬれ泥だらけになる華のない映画は
どうしようもなく“映画を見せる力”に溢れた怪作なのだ。

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