『 人生フルーツ 』に続いて、同じ日、『 ムーンライト 』を観ました。
アカデミー賞作品賞受賞、その劇的な授賞のいきさつのために、却ってハードルが上がったところがありますが、ミニシアター京都シネマで観るにふさわしい秀作でした。
差別がテーマの映画にもいろいろありますが、たとえば笑い話をするときに話し手が先に笑ったり、自分たちだけでウケて笑っていても、観る側が笑えないのと同様、差別を扱った映画で被害者感情むき出しだったり、伝え手側だけで怒っていても、観る側、特に被差別者でない立場の観客は置いてきぼりで入っていけない作品がままあります。
ひねくれた観客であるぼくは、そんな作品が「 俺たちはこんなひどい目にあっているんだ」とか「こんな俺たちに誰がした?」と訴えられても、「だから?」と冷めて観てしまいます。
本作は、淡々とした語り口が沁みてくる感じで、せつなくて、脚本と演出に知性を感じます。
本作には、悪役となる類型的な差別する白人、というか白人はほとんどでてこない。
黒人がより弱い黒人をののしり、いじめ、暴力を振るい、差別のはけ口にしている。
麻薬、暴力、売春に関わり、犯罪に手を染め、身内や友人を裏切り、自分自身にも誇りを抱けない。
オリジナル脚本を書いたタレル・アルヴィン・マクレニ―も、脚色・監督のバリー・ジェンキンスも母親は実際に麻薬中毒だったと言う。
差別やいじめというのは、される側の負の部分も引き出してしまい、そう扱われても無理もない存在に変えてしまう。 それが差別の根深く残忍なところであることを、本作は観客に考えさせるように、淡々と客観的に描いている。
差別の連鎖につぶされ、負の行いを犯してしまう登場人物たちが、抱える心の痛み。
家族や友人や自分自身をそれでも愛し、信じようとする、魂の輝き、それはかすかな光ではあるけれども、せつなく、そして美しい。
心の闇を描き、うそぶいたり、恨みや怒りを吐き出す作品が多い中で、閉塞的な社会、生き地獄のような人生に、愛と人へのいたわり、人間の尊厳を描く作品です。
『 ララランド 』はアカデミー賞作品賞を獲れなかったけれども、比較すると無理もないかな。 本作には人生があり、人を共感させる尊厳があります。
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