子供が生まれる前のことなので、もう10年以上前の話だと思います。
ある休日の昼間、携帯が鳴り、大変珍しいことに父からのものでした。
「どうしたの?」
と聞くと、「兄貴が、兄貴がさ…」と、尋常ではない様子、しばらくごそごそ言った後、
「来られるか?」
と言うので、兄に何かしらのトラブルが起こったのだということは分かり、当時住んでいた江戸川の自宅から、すぐに実家に車で向かいました。
実家では、母が一目見て分かるほどの落ち込みよう、ソファーに座って、両親から詳しい話を聞きました。
それによると、2つ年上の兄が、会社の健康診断で引っかかり、再検査の結果も、さらに検査をという話になり、重大な病気である可能性を指摘されたというのです。
重大な病気の一つとしては、ガンのようなものを疑われ、兄は当時まだ30代前半だったので、あるいはもう助からないのではないかということで、それを聞いて父も母はほとんど眠れなかったというのです。
兄は独身で、一人暮らしをしており、何年もの間ほぼ外食かコンビニで何か食べるような生活を続けており、そういうことが良くなかったのではとか、親としてできるだけのことはやるとか、そんな話になりました。
僕は、「何言ってんだよ。まだそうだった決まったわけじゃないんだろ。お医者さんだって、少し大げさにも言う人もいるだろうし、もっと冷静になりなよ。ガンなわけないじゃん…」と両親を元気付けるために、こちらこそ努めて冷静にしていましたが、内心としては強烈な感情にさらされていました。それは、
「たとえ植物人間になっても、息だけでもしていてもらいたい…」
というもので、自分自身が兄に対してこんな思いになること自体、とても不思議でした。
実は、僕と兄は大して仲が良いわけでもなく、その頃は1年に1度実家で会う程度、男兄弟などそんなものかもしれませんが、子供の頃さんざんケンカしたり、いじめられたことの方が大きな思い出で、正直兄に対してそれほどの感情を持っているとは思っていませんでした。
これが血縁というものなのでしょうか、しばらくの間、そんなことばかりを考えている状態が続いたのです。
結局、兄は何か所かの病院をたらい回しにされるような形にはなりましたが、最終的にすぐにどうということはないと経過観察の診断をされ、大病自体はなかったという、あの最初の騒ぎはなんだったんだという結果になりました。
それ自体は良かったのですが、精神的なストレスが長く続いたことが原因なのか、別の身体の症状が出て来てしまい、そちらの方で会社を少し休んだりしました。
兄も40代半ばとなり今なお独身で、様々な問題のある毎日なのかもしれませんが、とりあえずは普通に生活しているようで、それ以来絆が深まって時々飲んでいるなどということはなく、ここ2年くらいはまた会っていません。
兄弟にも色々ありますが、兄と僕の関係というのは、そういうふうに、日頃の付き合いはあまりなくても、とにかくお互い何とか生活しているということをお互いが何となく分かっているくらいで良く、もし何か大きな問題になったら、その時はその時で、違う感情が起こるというものなのかもしれません。
例の一件から10数年が過ぎ、時々そんなことを考えています。
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