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2016年10月29日11:03

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故郷回帰本能?

 秋が深まり、鮭の季節だが、今年は不漁らしい。ところで、サケには母川回帰本能があり、秋には自分の生まれた川を遡上する。
 盆暮の帰省ラッシュはかつての日本の「風物詩」。それも最近は随分と緩和され出している。スシ詰めの新幹線はめっきり減り、長蛇渋滞の高速道路も僅かの期間だけ。お隣の中国はかつての日本以上の帰省ラッシュが凄いらしい。そんな思いまでして人々が帰省するのはどうしてなのか。この問いに対して、人には「帰省本能」があるから、と答えたなら、どうだろうか。この仮説が正しいなら、これを利用しない手はない。
 その前に、「帰省本能」は「帰巣本能」の間違いではないのか。その通りで、「帰省」は本能的な行動ではない。それに対して、帰巣本能は本能で、例えばハトの帰巣本能は有名である。残念ながら、今のところ私たち人間に帰巣本能はないようである。帰省は生まれてから学習した習慣に過ぎなく、帰省しない人も少なくない。とはいえ、暫くは帰省本能と帰巣本能を同じだと仮定してみよう。
 もし人にサケのような回帰本能があり、自らの子供を必ず生まれた故郷で産むのであれば、現在問題になっている故郷創生など問題にならなかったろう。何の対策も必要なく、放っておいても、人は自分の生まれ故郷で出産するのだから、その生まれ故郷の人口減少は問題にならないのではないか。生まれ故郷の衰退を殊更に危惧する必要など毛頭ないことになる。
 だが、自分の町で生まれた人たちはその町の何を目印に回帰するのだろうか。町の何に惹きつけられて帰巣するのだろうか。もし人に帰巣本能があるのなら、これは考えるだけでもロマンがあり、面白い。生まれた後の町の発展でないのは確かである。
 だが,人はどこで子供を産むかは自由であると言われると、夢はしぼんでしまう。どこで、いつ、誰の子供を産むのも本人の自由意志に任されているのが人の社会。その社会では人の帰巣本能などはなから否定され、自由社会の障壁として無視されるのが運命というもの。その結果、過密と過疎が生まれ、人々はそれを直そうと四苦八苦することになる。

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