mixiユーザー(id:23595438)

2016年10月13日05:30

322 view

ロシアの クラウディアさん と 弥三郎氏

全然 知らなかったのだが、クラウディアというロシアの女性の
素晴らしい実話を知って 感動した。

これは、10年くらい前に、テレビでも色々 ドラマ化されたりしてる。
今回、図書館の放出した週刊誌のコラムで紹介されていたので、
短い要約だったが、それでも 感心したので、検索した。

この実話は、ロシアからも取材されたそうだ。

滋賀県出身の男性が、去年、96歳だかで亡くなった。

彼は、戦争中、21歳で、駆り出され、病気で入院中に
看護婦さんと恋に落ち、結婚して 朝鮮で新婚生活を送り、
終戦を迎えたが、同僚の偽りの告発でロシアにスパイとして
強制労働送りになった人だった。

妻は7か月の娘を抱いて、必死で日本の故郷に帰る。
何年も後に、ロシアで夫が生きている事が名簿で分かる。
しかし、港で帰国者の船を何度も待っても、夫は居なかった。
妻は、保健婦となり、娘には 孫が出来る。

夫は 拷問され、生き延びるためには技術が必要と知り、
必死で、理髪師として生きる道を修行する。
彼は、器用でマジメだったので、重宝された。

クラウディアさんは、両親を失い、やはり無実の罪で10年間
牢屋にいる間に、夫が別人と再婚してしまっていた苦労人だった。

ロシアの極東へ流された男性と知り合い、境遇が似ているので
愛し合うようになり、男性が日本の妻子に戻れたら、すぐ別れるつもりで、
結婚し、男性は、ロシア国籍を取得出来るようになった。
男性(弥三郎さん)がロシアに行かされて、14年目だった。

クラウディアさんは、スパイと後ろ指を指される男性を周囲から庇った。
二人は、評判のオシドリ夫婦となって、40年近く経った。

日本の男性の娘は、ついに、男性を探し当て、ロシアへ会いに行く。

男性の日本の妻は、娘に、もし、ロシアに男性の子供がいるならば、
日本に帰れと言ってはいけないと言い含め、娘を送り出す。

しかし、まだ、スパイ容疑のかかった弥三郎氏は 日本へ帰れない。
それでも やっと、ソ連が崩壊し、事情が変わる。

クラウディアさんは、他人の不幸の上に 自分の幸せを築く事は出来ないと
決心していた。
彼女は、一人で、離婚手続きと、煩雑な弥三郎氏の帰国手続きを済ませる。
ロシアに骨を埋めると言う弥三郎氏を説得して、日本に送り出す。
弥三郎氏は、51年ぶりに日本に帰った。
80歳近くになっていた妻との再会。

妻、久子さんは90歳で、夫の胸に抱かれて亡くなる。
クラウディアさんは、もう数年、長生きした。
そして、クラウディアさんが亡くなった翌年、
弥三郎氏は亡くなった。

生前、事情を知った人の仲介で、クラウディアさんは日本に来た。
別れる時の希望は ただ一つ、手紙を毎月 書く事だったが。

ロシアで あまりの苦しみに、弥三郎氏は、遺書を書いて、自殺しかけた事もあった。
髭剃りも、いきなりカミソリを研げと言われ、した事が無かったのに必死で研いだら
よく切れると言われ、いきなり剃れと言われ、剃ったら快適だったと言われた。

カムチャツカの対岸の町で知り合い、結婚後はアムール河の岸辺の町に住んだ。
アムールは、中国国境の河。

弥三郎氏は生き延びたが、殺された人、病死した人も多かったはずだ。

私の叔父にも 戦後しばらくソ連から帰れなかった人がいるので、
少し実感出来る。叔父は 90歳を超えて まだ存命である。
私の父の妹の夫に当たる。

父の2番目の弟は、ブーゲンビリアで23歳で戦死。

私の夫の母の18歳年下の妹に当たる赤ちゃんは餓死である。

弥三郎氏は、日本語を忘れないために、教育勅語や百人一首を
誰もいない場所へ行って、大声で暗唱したという。

会田雄次氏が、ビルマで捕虜生活を2年した時、
仲間と 百人一首の札を作って憂さ晴らししたと言う。
日本語の微妙な味わいを味わうために。


0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する