3連休の直後ですが、今日は仕事を休みました。
自治医科大学主催の献体や病理解剖等で協力した人の慰霊祭があり、
招待されたので、これに行って来ました。
もう何回か書きましたが、
同居人は、治る見込みがなくなり、緩和ケアへの転科を決めた後、
主治医に、死後身体を解剖して、卵巣癌の研究に役立てて欲しいと申し込んでいました。
僕も知らない内に一人で決めた事なのですが、
やはり病気を憎む気持ちが強かったからなのだと思います。
主治医も、本当に強い人ですねと驚いていました。
自治医大の緩和ケアも満床で空き待ちの状態だった事もあり、
僕たちの事も考えて、自宅近くの済生会病院への転院を医師から勧められました。
同居人は、この話があった時、自治医大で世話になったのだから、
自治医大の研究に貢献したいと転院を渋っていました。
主治医に確認したところ、解剖は自治医大でも可能だとの話だったので、
一応彼女も転院を了解し、その準備や手配なども行いました。
実際に移送する1時間ほど前になって、
同居人の容態が急速に悪化し、危篤状態に陥り、そのまま逝ってしまいました。
今にして思うと、転院を勧めた事が彼女の命を縮めたのではないかと
悔やむ気持ちがあります。
自治医大へは、検査の時や入退院などで同居人を乗せて、
あるいは入院中の様子を見に行った時など、何度も車で自治医大まで行きました。
今日はどうしようかとも思ったのですが、どうも車の運転も辛いような気がしたので、
幸い天気も良い事から電車にしました。
彼女も長男も慣れない夜道の運転を心配してくれていたので、
疲れを感じた時などは電車で行った事もありました。
慰霊祭は、自治医大近くの龍興寺で行われました。
自治医大駅からは、マイクロバスが出ていました。
駅から自治医大に寄って、更に人を乗せて行きましたが、
自治医大に近づくに従って、色々な思いがこみ上げて来ました。
慰霊祭は盛大なものでした。
献体や病理解剖などを受けた人は昨年の9月からの1年間で211名いたそうです。
その遺族ばかりでなく、医大の学生達や大学の関係者も参列していました。
半鐘が鳴って開始を告げられ、僧侶が3人ほど入堂し、
梵鐘が鳴って慰霊祭が始まりました。
自治医大の学長の挨拶があった後で、
それぞれの方の名前の呼び上げがあり、当然ですが同居人の名前もありました。
僧侶の読経の最中に、焼香がありました。
学生の代表や献体を登録した人の会の代表の方などの挨拶がありましたが、
その最中、更に色々な事を思い出していました。
出席者の中に、同居人と仲の良かった近所の奥さんがいました。
友人の付き添いで来たとの事でしたが、彼女と少し話していて、涙ぐんでしまいました。
済生会で逝ったとしたら、このような慰霊祭があったのだろうかと思い、
自治医大で逝きたかった同居人の思いの正しさを感じたような気分で帰って来ました。
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