ここひと月ふた月ほど身体がだるくて肩が凝って、そのままだらだらしてしまうと自然治癒力が呼び覚まされないと、自分でも根拠のよく分からない理由から無理矢理身体を動かすと、とりあえず昼頃にはすこしだるさが無くなるというか、気がそらされるというか、あまり気にならなくなるという状態が続いていた。
しかし先日はどうにもだるさが酷くなり、これは物言わぬ臓器が悲鳴をあげてるなと判断し酒を控えた。
酒を控えると眠れないものだから寝返りばかりして布団を吹っ飛ばし、天候不順が続いた時期だったので風邪らしき症状を呈してきた。
すると気も弱っているものだから
「これはMERSでは無かろうか。」
とか
「肝臓がんで手遅れかも知れない。」
等と考え始める。
とりあえず肝臓に良いと言われるオルニチンを摂るために「しじみ70個分のちから」というインスタント味噌汁の元と、商品テストのために試しに生協の片隅の棚に置いてみました風、KIRINの「ウコンとしじみ900個分のオルニチン」という栄養ドリンクを買い飲み始めた。
しじみ70個と900個の差があるなら当然ドリンクを買うのだが、残念なことにもう無くなってしまった。
というか、全部俺が買ったのだけど、後からの補充が無い。
値段も先行品と比べて安かったから、とりあえず安くして使って貰い、これは売れると判断したら本格販売するのかも知れない。
先日ふなっしーのデザインのボトルのナシのジュースが試供品みたいに置かれていて、ボトルが欲しいので一本買ってみたらなんと中身も美味しく、ナシのジュースを飲まない孫が美味しいと飲んでいたので又買いに行ったらもう売っていなかった。
そうやって酒を飲まず、味噌汁と栄養ドリンクを飲んで二、三日経ったらすっかりだるさが消えてしまった。
ウコンとオルニチン恐るべし。
しかしこの年齢になると一日に一度は死について考える。
俺なんかはじたばたしながら死ぬだろうが、世の中には誠に平常心を保ったまま死に向かう人たちがいる。
山岡鉄舟(やまおかてっしゅう)は勝海舟と共に、幕末の江戸城無血開城の功労者だが晩年胃がんを煩う。
もう先が長くないということで勝海舟がお見舞いというか、お別れというか、様子見に行った時の事を記している。
「山岡死亡の際は、おれもちょっと見に行った。明治二十一年七月十九日のこととて、非常に暑かった。
おれが山岡の玄関まで行くと、息子、今の直記が見えたから「おやじはどうか」というと、直記が「いま死ぬるというております」と答えるから、おれがすぐ入ると、大勢人も集まっている。その真ん中に鉄舟が例の坐禅をなして、真っ白の着物に袈裟をかけて、神色自若と坐している。
おれは座敷に立ちながら、「どうです。先生、ご臨終ですか」と問うや、鉄舟少しく目を開いて、にっこりとして、
「さてさて、先生よくお出でくださった。ただいまが涅槃の境に進むところでござる」と、なんの苦もなく答えた。
それでおれも言葉を返して、「よろしくご成仏あられよ」とて、その場を去った。
少しく所用あってのち帰宅すると、家内の話に「山岡さんが死になさったとのご報知でござる」と言うので、「はあ、そうか」と別に驚くこともないから聞き流しておいた。
その後、聞くところによると、おれが山岡に別れを告げて出ると死んだのだそうだ。そして鉄舟は死ぬ日よりはるか前に自分の死期を予期して、間違わなかったそうだ。
なお、また臨終には、白扇を手にして、南無阿弥陀仏を称えつつ、妻子、親類、満場に笑顔を見せて、妙然として現世の最後を遂げられたそうだ。絶命してなお、正座をなし、びくとも動かなかったそうだ。
しかしこの二人の会話かいつまむと
「よっ!どうだい死にそうかい?」
「良いところに来てくれたねえ。もうちょっとで死ねそうなのさ。」
「そうかい、まあせいぜい頑張って死んでくんねい。 じゃあな。」
という事なんで、海舟自身も鉄舟同様、死なんて隣の部屋に移動する位に思っているんだろう。
そうそう、山岡鉄舟って身長188cm体重105キロもあったらしい。
写真を見ても精悍で筋肉質だ。
剣術の達人で、書家としても有名で、「開運!なんでも鑑定団」なんかでは借金のカタで手に入れた鉄舟の書が出てくると
「またつかまされたな」
と誰もが哀れみの表情のにやにや笑いを浮かべるという程、偽物が多いらしい。
つまりそれだけ人気があるということなのだろう。
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