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2015年06月16日06:05

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【喘息と体罰の少年時代】/第二部 体罰/第二章 納豆授業/第二節 納豆授業

【喘息と体罰の少年時代】
第二部 体罰
第二章 納豆授業
第二節 納豆授業




 五年生になると、三年生の担任よりもっと恐ろしい先生が僕を待ち受けていました。担任教師野川先生の教育における持論は、
【生徒自身が自主的に発言をして、活発な討論となる授業】
でした。ここで【自主的】とは、手を挙げた生徒を先生が指名して発言するのではなく、【先生の介入無しに】生徒の発言だけが飛び交うことを指します。僕は子ども心にも、【あぁ、いいこと言うなぁ】と感じたものでした。

・・・授業ってのはな。先生と生徒のキャッチボールじゃいけないんだよ。先生が話す、生徒を指名する、答える、また別の生徒を指名する、答える、というように【キャッチボール】じゃいけない。誰かが発言したら、また別の子が【僕はこう思う】と繋げて、それに対してまた別の子が、というようにみんなの発言が【納豆】のように絡み合っていかなきゃだめなんだよ。

言いながら、野川先生は両手の指をくねくねと絡み合わせるしぐさをして「なーっとーのようにー」と面白可笑しくみんなの笑いをとっていました。


第四節 最初の両手挙げ

 さて、そんな野川先生の記憶で、僕の心に【もっとも】傷を残したことがあります。それが次にお話する【両手挙げ】の体罰です。

  体罰名称  : 【両手挙げ】
  体罰の様式 : ばんざいした格好を、
           先生が【終わり】というまで
           維持する

  加害者 : 担任教師野川先生
  被害者 : 僕(ほぼ毎日)
     親友かつひこくん(ほぼ毎日)
        他、十名ほどがほぼ毎日被害に
        遭っていた。

 授業開始。担任の野川先生は、国語算数理科社会、どの教科でも教卓には立たず、自分の机でなにやら作業をしています。
授業開始に当たって、先生のひとこと。
「さ。きょうは○○についての授業。自主的に発言しなさい」
納豆授業の開始です。野川先生は、でも、テーマを投げかける訳ではありません。野川先生は、さっさと自分の机に座り、何か書き物を始めたようでした。
 最初の授業では、みんな何をしていいか分からず、ポカ〜ンとしていました。僕の記憶では、最初の納豆授業では、誰も発言しないまま、授業の時間が終わりに近づきました。
そのとき、野川先生が、
「意見を言わなかった者、前へ出ろ」
と言い、みんながぞろぞろと黒板の前へ出ました。次に、野川先生が、
「では、その場で両手を挙げろ」
と言い、生徒達は従いました。五分・十分経つと疲れてくる生徒もいました。 最初の納豆授業は、そこで許されたようです。この時点では、僕は、両手挙げが執拗に繰り返されるとは思ってなかったのです。
 体罰は、【懲らしめ・見せしめ】的な要素があります。最初とか、クラス全体がだれてきた時期とか、時々やらされる程度だろう、そう考えていました。でも、僕の楽観的な考えとは全く異なり、【両手挙げ】は、最後の一人が口を開くまで徹底的に執行された恐ろしい体罰でした。

第五節 執拗な両手挙げ

 さて、納豆授業も二度三度となると、体罰の恐怖をみんなが理解します。
「さ。きょうは○○についての授業。自主的に発言しなさい」
やがて、教室のあちこちから生徒の声が出始めます。その発言たるや、適当に教科書を見ながら、適当なことを言うので、授業でも討論でもなく、各々が勝手に叫んでいるだけでした。たとえば算数。先生は解き方を説明するでもなく練習問題をさせるでもないのです。ひたすら自分の机でなにやら作業をしています。そんな調子だからみんなは理解などしている筈もありません。教科書に描かれた図形になにやら意味不明の線をたくさん書き込み、
「僕は今、図形の研究をしてまーす」
などとふざけた意見をいう同級生もいました。そんなふざけた発言でも「意見一回」としてカウントし自己申告できました。
 そして授業の時間も終わりに近づくと、野川先生がすくっと立ち上がり、
「意見を言わなかった者、両手挙げ!」
そして、僕をはじめ何人かの「意見を言わなかった者」たちが、黒板の脇に立たされて、「両手挙げ」の刑を執行されるのです。
 両手挙げが恐くて「意見を言った者のフリ」をしたこともありました。ですが、誰かが必ず、
「○○くん、嘘言っちゃダメだよ」
と暴露してしまうので、僕や、いつも意見を言えない同級生たちが結局は、「両手挙げ」をさせらてました。
 四年生までは、先生が教卓の前で教えてくれる授業に慣れていた児童が、急に「自主的な発言」など出来るものではありません。「両手挙げ」の恐怖のもと、みんなが先を争って叫ぶものだから、ちょっとでもためらっていると、意見を言いそびれてしまいます。そして「両手挙げ」の餌食です。毎日、授業が始まると「何か、言わなきゃ、何か言わなきゃ」と尻込みする自分との戦いでした。自主的に意見を言うことに反抗していたわけではありません。その証拠に「自主的な発言」が言えた日もあったのです。そんな日は勿論「両手挙げ」は免れました。しかし、多くの場合、言葉が出てこなくて、言葉が浮かんでも他の人に先を越されて言いそびれてしまうのでした。意見を言うまでは、給食もおあずけになる「両手挙げ」の体罰。それが、ほとんど毎日続きました。黒板の前で、両手を挙げて、疲れてくると手も痛くなってしびれてきます。腰が痛くなっておなかを突き出して耐えます。意見を言え、って何を言えば良いのか?
泣きながら、不本意な反省の弁を述べさせられたこともありました。



長い間、拙い文章をお読みくださりありがとうございました。
元々、連載ではなく、幾つかのパラグラフをご紹介するに留めるつもりでした。
本日で、このお話【喘息と体罰の少年時代】の発表を終わります。
原稿は、ほとんど完成しております。
全文をお読みになりたい方は、ご連絡ください。

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