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2015年05月28日22:54

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8/2 彩乃

(2014年)7月の東京行きの後、次のライブ鑑賞の機会はカルマン北海道ツアーで唯一訪れることができた帯広くつろぎの店彩乃となりました。

この時のカルマン北海道ツアーは8月1日(金)の札幌のやに始まり、帯広、白糠、別海、知床第一ホテル、富良野、当別紙ひこうきと8月7日(木)まで続くというものでした。

地理的に一番近いのは札幌ですが、平日とあっては少なくとも午後半日休まなくてはなりません。それであれば少々遠くても土曜日の帯広に行った方が翌日の日曜日に帰ることもでき職場に穴は開けずにすみます。何かの催しと重なったと後で聞いたのですが、帯広の宿がだんだん埋まってきているようだったので、空いていた東横インを押さえておきました。

彩乃では小松崎健さんは何度か演奏されていますが、私は初めてです。
tricolor北海道ツアーで帯広を訪れた時に下見をしてお店の場所を確認した記憶がありますから、5月の時点で既にカルマン北海道ツアーの情報が入っていたことになります。
開演時間が迫る中、場所がわからず焦るといった心配はなくなりました。

当日はまず8時13分発のスーパー北斗で札幌に向かいました。指定を取ってしまうと気ままな行動がしずらくなることから、最近は指定席特急回数券を常備しておきつつ座席指定は受けずに自由席を利用するのが常です(もっとも、この後の2015年3月いっぱいでJR北海道が函館札幌間の特急回数券の販売を取りやめてしまいましたので、これからはどうなるかというところです。値段が安いというより有効期間が3か月あって乗りたい時に乗れるのがいいところだったのですが…)

指定席が満席の時でも自由席に座れないことはまずないからでもありますが、この時は東洋系の外国人観光客が大勢乗り合わせ、座ることのできない事態となりました。
外国人観光客は大沼公園駅辺りでどっと降りてしまうことも多く、最後まで座れないことは滅多にないのですが,この時は久々に札幌まで3時間半の立ちん坊となりました。十数年前の最初の道南勤務時の雪まつりシーズンに1度経験して以来だったのではないかと思います。

車中では某M西さんが着席しておられるのをお見かけし羨ましかったことでした。健さんを師と仰いでおられる方ゆえ私同様に帯広に行かれるのだろうことは察しがつきました。

某M西さんは南千歳で降車して帯広方面への乗り継ぎをされたようでしたが、私は札幌まで乗り通し、正午近くに到着した後、いつもの書店めぐりや帯広までのJR券の手配などを済ませた後、改めて札幌から帯広に向かいました。14時20分札幌発で17時過ぎに帯広着のスーパーおおぞらだったと思います。

彩乃の開場は19時とのアナウンスでゆとりがあったので、到着してから帯広駅近くの宿にまずチェックインし、置いていける荷物は置いて身軽になってから改めて彩乃に向かいました。暑い日で、夕方になってから歩き回ってもかなり汗をかいたことを覚えています。

開場時刻を過ぎたところで彩乃のドアを開こうとしたところ、お連れの方と御一緒の中村さんのお母様とばったり出くわしました(JJFは初めての北海道ツアーの時から毎回中村さんゆかりの帯広でライブをされ、お母様はトシさんとは旧知でいらっしゃいます。後でやり取りされるのを耳にしたところでは、トシさんが別ユニットで帯広に来訪されることを新聞記事等で御覧になって彩乃においでになったもののようでした。)。

お母様方と一緒に入店するような格好となり、入ってすぐダルシマ−に向かっている健さんと目が合いましたので、こちらは中村さんのお母様なのだと御紹介申し上げました。思ったとおり、お二人は初対面だったようで、小松崎です、中村大史の母です、いつもお世話になって、いやこちらこそなどと御挨拶を交わされていました。

お母様はちょうどそこで一緒になってと私のことをおっしゃっていました。
私から健さんには仕事を休まなければならない金曜日ののやよりもむしろ来やすかった旨を申し上げました。

この時にはステージ上に岡林さんもいらっしゃったのですが、お母様は後で岡林さんにも、うちの子と御一緒してくださってるんですってね、失礼しました旨をおっしゃっていました。

遅れてトシさんも場内に姿を現し、お母様と親しくお話を交わしておられました。

私はお母様からはちょうど1週間後の翌週土曜に帯広市内のぷれいおん・とかちという施設で予定されていた中藤さんと中村さんのtricolor duoのフライヤーをいただきお勧めを受けました。

この時の中藤さんと中村さんの御来道については、金曜日の幕別町札内駅近くのyukmichiはとてもいいライブになりそうでしたが仕事を休まなくてはならず、日曜日の大正祭りは帯広市街地から少々距離もあってその日のうちに帰れるかどうか、もし行けるのならば土曜日かなとは思っていました。

ぷれいおん・とかちも帯広駅からはちょっと距離のある場所でしたが、幸いバス停がそこそこ近くて移動は何とかなりそうでした。時間帯も昼間で、少々辛いですが日帰りもできそうです。地域の子供達のためのNPO法人ということで一般の客が訪れていいのかが気掛かりでしたが、お母様は差し支えない旨をおっしゃっていたと思います。

前後してスーパー北斗車中でお見かけしていた某M西さんも姿を現しました。M西さんは私と異なり翌日の白糠にも行かれるとのことでした。

開演前にいただいた彩乃のプレートのお料理がライブ前の空腹にちょうどよかったことを覚えています。

肝心のライブの方は具体的曲目は残念ながらかなり記憶が薄れてしまいましたが、モンゴル、アイルランド、多国籍、無国籍、多彩であったことは覚えています。
カルマン以前からの健さんの「モンゴル母ちゃん」は、この日も披露されたと思うのですが、自信はありません。

終演後は、持参したカルマンのCDにサインをいただきました。M西さんも私同様かねて購入されていたようで、自分も持ってくればよかったとおっしゃっていました。

中村さんのお母様は教育関係の職に就いておられるイメージがあるのですが、音楽をお教えになっているということはあるのでしょうか(中村さんが音楽に親しむようになったのは、お母様が様々なジャンルの演奏会にお連れくださったことからというのをどこかで目にした記憶があります。)。ダルシマ−に非常に関心を示され、実際に弾いてみてもおられました。

M西さんが手ほどきされると、お母様はすぐにメロディーを奏でることができ、素養を感じさせました。

因みにM西さんはお母様がどういう方かは全然御存知なかったようで、中村さんとかアニーさんとか言えばわかるかとお尋ねしてみてもそれもわからなかったようでした。
お互いに相手がどういう人か知らずダルシマ−を教え教わるお二人でしたが、約4か月後、のやO'phanのライブで再会し、会場ででJJFのCDも売られていたことから、M西さんは理解を深められたようではありました。

他のお客様やお母様もお帰りになった後、彩乃のママさんはお三方をお連れになって場所を変えて打ち上げ的なお食事をされるようでしたので、私も後はどうせ宿で寝るだけですのでM西さんらと共に同行させていただきました。

彩乃からは駅よりの方向に歩きましたが、この夜、帯広は何かのお祭りで、その時間帯にもまだ屋台がいくらか残っていた記憶があります。

到着したのはカレーやラーメンがおいしいお店だったと思います。
お店ではトシさんが健さんが席を外している間にコップのお酒を取り替えるいたずらをされ、私も素知らぬ顔をしなければならず気がとがめたことでした。

現在は帯広在住の住友夫妻も健さんがいらしていることを知り、ライブには間に合わなかったものの、健さんの携帯にメールや電話があり、このお店で合流されました。

住友さんは札幌時代にたまみさんとデュオを組んだりしておられたことは何となく見聞きしていましたが、私はおそらく初対面だったのではないかと思います(この日も直接お話しはしませんでしたが。)。M西さんもはっきり面識はなかったようで,Facebook上でのプロフィール写真に見覚えがあるといったやり取りをされていました。

住友さんは、最近全面的に相手に非がある交通事故に遭ったものの、相手が任意保険に入っておらず賠償能力もないといったお話をされるなど、帯広では苦労をされているように感じられました(Facebook上でもお書きになっていたのを後日目にする機会がありました。)。

健さんは住友さんのギターを、アイリッシュもいいが、むしろオリジナルがいいというようにお褒めになっていました。

彩乃のママさんと健さんとの間では、かつて天才少年と謳われた某ミュージシャンが彩乃で演奏された時の態度を難ずるようなお話もされていました。

お三方はその夜は彩乃泊のようでした。私の宿は帯広駅に近く、お店からだと彩乃は逆方向だったのですが、お名残惜しかったですし、大した距離ではありませんので、彩乃の近くの宿に泊まるというM西さんとともに彩乃まで戻ってからお別れしました。その際お三方が握手してくださったのを覚えています。

翌8月3日(日)は朝から帯広を発ち、立ち寄った札幌で散髪するなどした後、それほど遅くない時間に道南に帰着したと思います。

8月4日(月)からは、第007回となるはこだて国際民俗芸術祭も開幕します。

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