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2015年04月05日23:38

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「ラブストーリーズ エリナーの愛情」 「ラブストーリーズ コナーの涙」 「君が生きた証」

4日は「マシンガン・ツアー」
    「ジュピター」、

5日は「ナショナル・ギャラリー 英国の至宝」を観に行きました。



一口評 :

「マシンガン・ツアー」、英国・リトアニア合作のガイ・リッチー風味のオヤジ映画かな(笑)。

「ジュピター」、なんだかなー(笑)。

「ナショナル・ギャラリー」、フレデリック・ワイズマンのドキュメンタリー。
先日の「ヴァチカン美術館」の大仰さとは全く違って、これは面白い!





「ラブストーリーズ エリナーの愛情」 ’13 (米)
「ラブストーリーズ コナーの涙」   ’13 (米)


監督・脚本:ネッド・ベンソン 音楽:Son Lux
m:ジェームズ・マカヴォイ,キーラン・ハインズ,ウィリアム・ハート
  ビル・ヘイダー
f :ジェシカ・チャスティン,ヴィオラ・デイヴィス,イザベル・ユペール
  ジェス・ワイクスラー


一組のカップルの別れから語り起こし
それぞれの心の軌跡を男性側,女性側 ふたつの側面から眺める2本の映画。
幼い息子を喪ったコナーとエリナーの夫婦は喪失の苦悩を共有できず
エリナーの投身自殺未遂をもって共同生活は解消される。
エリナーは実家に戻り父の勧めで大学の聴講生となる。
突然妻に去られたコナーはその理由を問い続ける。
それぞれの主観が捉えた同じエピソードが
それぞれに脚色されて記憶されるのが面白いが、
同じ事態を男女それぞれのサイドから語る―というのは
特別新しいことではないように思う。ただ
その仕様だけで1本づつ都合2本の作品にしてしまったのは珍しい。
“オトコの理屈”が“オンナの感性”に振り回される…印象だが
私的には
エリナーの“私の悲しみ”への没入がリアルで
だからこそそれがうるさく鼻について
女ってホント“私の物語”に固執するんだなぁ…
昔は女は社会的に男の下位にいたから
物語によって“心を護る”側面があったと思うけれども
男女平等の今日では
どんでもなく自分本位な我儘に見えちゃうなぁ…
などと思って、コナーが気の毒になった(笑)。
レビューを読むと、概ねエリナーに寄った発言をする人が多く
コナーの女心の理解度の不足や 人間の未成熟をあげる言辞に出会うのだが、
いやいや
大学教授の父のつてで 特に興味もない講義を聴講したあげく
あっさりやめてフランスに留学する…なんて いい加減もいいとこだし
気分次第でコナーの前に現れて誘惑したり その気になったら拒否したり…
むちゃくちゃ腹立つ自己チュー女じゃん!!と思うけどね。
自殺未遂をするほど息子の喪失の傷が深かったら
そういう自己チューは許されるわけ…?とかね。
コナーの反応は非常に真っ当なものだと思うよ。
突然奥さんが出て行ったら「何故?どうして?」と思って当然だし
理由を聞くために会いたいと思うでしょう?
自分の店の経営を諦めて父のレストランを継ぐ決断にしたって
やってみてダメだったから楽な方に乗り換えたというより
エリナーの件があったから人生を仕切り直そうとした…感じだし。
ま、それらは結構どうでもよくて、
この映画の華は
エリナーが聴講する講義の教授役ヴィオラ・デイヴィス。
もう…彼女の上手さったらないですよ!
この物語の登場人物は彼女も含めて若い夫婦の親世代の造形がよくて、
エリナーの両親,コナーの父親,そしてこの大学教授が
実にじつにいい味を出しているのだが、
人生や男や子どもや仕事(授業)のどれにもちょっと距離を置いて
賢い諦念からくたびれたような喋りを披露するヴィオラ・デイヴィスの演技は
生々しく40〜50代の女の人生経験を想起させて
ウィリアム・ハートよりもイザベル・ユペールよりもキーラン・ハインズよりも
役者としてはるかに存在感がある。
おそらく30代になったばかりのエリナーは壮大な遠回りをして
ヴィオラ・デイヴィスの“ものの分かった女”に
行きつくしかないんじゃないか…? と思うもの。
実家のエリナーの部屋にはクロード・ルルーシュの『男と女』、
夫婦が暮らした部屋にはゴダール『男性・女性』の
ポスターが貼られているのが憎い演出かも?(笑)





「君が生きた証」 ’14 (米)


監督:ウィリアム・H・メイシー
脚本:ケイシー・トゥウェンター,ジェフ・ロビソン,ウィリアム・H・メイシー
オリジナル・ソング:サイモン・ステッドマン,チャールトン・ペッタス
音楽:イーフ・バーズレイ
m:ビリー・クラダップ,アントン・イェルチン,ローレンス・フィッシュバーン
  ウィリアム・H・メイシー
f :フェリシティ・ハフマン,セレーナ・ゴメス


大学構内での銃乱射事件で息子を亡くし、息子が遺した楽曲を歌い継ごうとする父親。
その歌に魅了されたミュージシャン志望の青年。
音楽を通じてめぐり会った親子ほど歳の離れた男二人の
成長と再生を描いたヒューマンドラマ…とチラシにある。
全くその通りの物語を読んでいたら…2/3 を過ぎて突然
時限爆弾が炸裂し、これがそんな感動話ではないことが露呈するのだ。
息子の死から2年を過ぎても立ち直れず
仕事を辞め 塗装のアルバイトをしては飲んだくれ 湖のヨットで暮らし
別れた妻から 自分と向き合え!と叱咤される主人公サムの
どうしようもなく重たい事情―が
残り1/3 で消化されるはずもないのだけれど、
息子の残した歌―とそれを歌う父と
歌う父と楽曲に夢中になる貧しい青年の物語は、
まさにその楽曲によって希望かもしれないあえかな未来への標を示していて、
しかしその歌は
今はまだ(もしかしたら将来に亘って)封印されねばならぬ楽曲かもしれず、
一人では負いきれぬ思いの前で
それでも人は人と関わることで“私”を確認して行くしかないのだな…と
苦い涙を呑み 暖かな思いも湧いて来る
そんな作品なのだった。
核心を明かすと興趣が削がれるのではっきりした物言いができないのがもどかしいが、
名優ウィリアム・H・メイシーの初監督作であるこの映画は
音楽映画として
犯罪をめぐる遺族の物語として
非常に優れた映画になっていると思う。
「君が生きた証」なる邦題もミスリードを誘うためのような気がする。
原題は「RUDDERLESS」。“舵のない”の意のバンド名である。
ビリー・クラダップは歌,ギター,芝居ともに熱演。
ローレンス・フィッシュバーンの楽器屋のオヤジがよかった!

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