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2015年03月21日07:18

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3月15日の日経新聞の文化欄に俳優の加藤武さんの「もう叱ってくれる人がいない」と言う文章が掲載されました。戦前は日本国民はみんな「臣民」でしたから、「個人の前にいつも国の存在があり、個人の行為は国の発展の為になっているか?」と言う基準で判断されたため、『叱られることが多かった』と思います。しかし、戦後は「個人主義」が徹底したために、国民としての規範よりも個人としての尊厳が優先される時代になってきたために、「叱ること」も「叱られること」も極端に減ってしまって、世の中が混とんとしてきました。いわゆる「言いたい放題」や「やりたい放題」で、後は自己責任と言う「伝統」や「歴史」を重んじない風潮が蔓延してきたのです。

 そんな中で、この加藤さんの文章は平易で読みやすく書かれていますが、核心を突いた貴重なお話だと思います。その大半を引用させていただきますので、ぜひご一読ください。国民の一人一人が加藤さんのような「気づき」があれば、日本はもっと素晴らしい国になると思います。

(引用開始)

「もう叱ってくれる人がいない」

私達の世界は、伝統芸能や落語界と違って師匠がいない。だから自分のやり方で自由にやれる。誰に何も言われないからいいんだと思えば思っていられる。思い込みが昂(こう)じて鼻が高くなってもその鼻をへし折ってくれる人はいない。ここが師匠を持たない長所でもあり欠点でもある。

 でも、たった一人叱ってくれる人がいた。
 文学座創立メンバーで看板女優だった杉村春子だ。稽古をしていても油断も隙もなかった。何時雷が落ちてくるか判らない。満座の中でびしびし叱られた。実に具体的なお叱りだった。私はこんな風に叱られた。

「武(たけ)さん、あんたの台詞(せりふ)はただ一本調子。どう言ったらお客様に中身が伝わるか何も工夫してない。台詞を喋(しゃべ)る早さ、音の高い、低い、息継ぎの間(ま)とかを、しょっちゅう気をつけていなくっちゃ」

 稽古半ばの食事休憩の時だった。ざる蕎麦(そば)をひとすすりしようとした私はいきなり叱られた。杉村さんも手作りのお弁当を口にしていた。

「あんたの芝居は全部借り物!下手でもいいから自分の芝居をしなさい」

 返す言葉もなかった。私は子供の時分から歌舞伎を始め新派、新国劇、浅草の大衆演劇とあらゆる芝居を観て来た。今はもう亡くなられた名優もかなり観た。だが、いざ自分が演じる段になると、これまで観てきた誰かの舞台が目の前にちらついてしまう。「借り物芝居」と叱られる理由(わけ)だ。いきなりこの世界に飛び込んで来た仲間の芝居の方が余程新鮮に見えた。

 杉村さんは広島市に一つしかなかった芝居小屋・寿座であらゆる芝居を観ていた。東京歌舞伎は六代目菊五郎、初代吉右衛門、二代目左團次、関西歌舞伎は二代目鴈治郎、中村魁車、三代目梅玉で、特に梅玉がご贔屓(ひいき)だった。築地小劇場から巡演して来た山本安英、滝沢修の舞台や、絶世の美女・松旭斎天勝の奇術も観ていた。底の割れた私の芝居なんか可笑(おか)しくって観ていられなかったに違いない。

 杉村さんと一緒に私もよく地方巡業に出た。

 あの頃は芝居がはねると宿屋で揃(そろ)って夜食を取った。終演後の後片づけもあり、空腹のあまり我々はお膳に喰らいついた。その瞬間、床の間に席を据えた杉村さんからお叱りを受ける。匕首(あいくち)で肺腑(はいふ)をえぐられる様なダメ出しだった。途端に食欲が無くなってしまう。ふと叱られた仲間達の膳を見た。椀の底に冷え切って沈む具、生卵がかけられた飯茶碗に突き立ったままの箸、むしりかけの鯵(あじ)の干物、と惨憺(さんたん)たる有様だ。

「一人一人がしっかりやらなきゃ、あたしはもちろん、芝居全体が駄目になっちゃうの」と、言い切って去った杉村さんのお膳はきれいに片づいている。

 舞台に立つ前は誰だってあがる。私は出の前に掌に人、人、人と書いて飲んだ。でも、効き目がない。私は不躾(ぶしつけ)に杉村さんはどうしているのかを訊(き)いた。

「あたしは芝居の神様にお祈りするの」と。

 杉村さんが亡くなられて十八年になる。今になって叱られたあれやこれやが思い出される。

 もっと叱られておけばよかった。今は芝居をしていても良いのか悪いのか自分では判らない。こんな風にするときっとこんな風に杉村さんに叱られるだろうな、と思ってやるしかない。叱ってくれる人がいないと何とも心細い。

 そんなある日、憧れていた文楽の竹本住大夫の浄瑠璃を聞いていた。

 ふと、私は耳をそばだてた。……あれ?住大夫が私を叱っている!

 住大夫の浄瑠璃を聞いていると、人物が生きている。情が切々と伝わって来る。場面が手に取るように見えてくる。杉村さんのお叱りと全く同じなのだ。

 私の師匠は「住大夫」と心に決めた。

 ある時、山川静夫さんの司会するテレビ番組でご一緒する機会があった。師は杉村春子さんのことを「あの方は芝居せんと芝居してはりまんな」と仰(おっしゃ)られた。

 芝居しないで芝居するなんて、一生かけても私に出来る芸当ではない。

 住大夫師の「素浄瑠璃の会」で対談の聞き手役を仰せつかった。「沼津の段」の平作に話が及んだ。大夫は話していくうちに語りの呼吸(いき)になっていった。

 ほとばしる大夫の呼吸!平作が死ぬ間際の息遣いと音(おん)の素晴らしさに観客も私も圧倒された。

(引用終わり)

 いかがでしたか?人は隠れたところで思わず唸らされる「キラッ」と光るものがを持っているものなんですね。
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