実は、同名の日記を午前中に揚げたのだが、
揚げたつもりになって消してしまったのだか、
何かのトラブルで消えたのだか、
某新聞のコラムをそっくり引用していたので「消された」のか……
よくわからんのだが、
やっとこさ、気を取りなおしてリアップを目指そうと。
しかし、一度書いたものをまた書くという作業はつまらんな。
さて、本日付某新聞社の「よく入試に使われる」と言われているコラムに、
「納豆」の話があった。
その中でさらりと語られる「抵抗勢力」の話である。
>20年ほど前の小欄が、納豆のことを「おそるおそる」書いている。
>その前に取り上げた時、西日本の読者から苦情の手紙を何通も頂いたからである。
西日本ローカルの一部民衆の、なんと意固地というか偏狭なことか
彼らにとって「納豆」は、
あまたある食べ物の中で、口にあうとかあわないではなく、
憎むべき「敵」なのである。
鬼畜米英みたいなものなんですよね、納豆は。
例えば、このコラムで「お好み焼き」を取り上げたとしても、
お好み焼きが嫌いな人から苦情が来たりはしない。
(いや、絶対無いとはいえないけどさ……)
普通、そういう「おかしな偏狭さ」は恥ずかしいことであって、
人前で偉そうに抗議したりするものではない。
自分は好きじゃないけど、別にどうだっていいやで終わるものだ。
しかし、この西日本ローカルの一部民衆の手にかかれば、
「お好み焼きの発祥は、戦後の東京が有力」などと書いた日には、
苦情の手紙では済まないレベルで、威力業務妨害級の抗議がおしよせるであろう。
(たぶんな……)
なぜにそこまで、この西日本一部ローカルはそうなんだろうか?
彼らのこういった行動は、非常に韓国の反日感情と似ている。
クリソツである。
つまり、「憎い」のだ。
敵なのだ、彼らにとっては。
理由なんかあとからいくらでも勝手につけるだけで、
本心は「憎い憎い憎い」「自分のほうが上だ!」「自分らのほうが偉い!」
という、簡単にいえば絶対に抜けない劣等感に支配されているから、
永遠に「憎い」のである。
別に「納豆」である必要はなかった。
しかし、
あまり西日本一部ローカルには馴染みがなく、
なおかつ劣等感の対象である「東京地方」でよく食べられているものは、
極論すれば、
「あっちは何でもカスで、こっちが偉い!」
と言わなきゃ気がすまない。
ちょっと前に書いた、すき焼きの味付けのようなものだ。
西日本でも「反東京感情」を意識していない人は、
すき焼き一つとっても、客観的に考える。
「良い肉でやるときは焼いたほうが美味しいと思うけど、
わり下で煮る牛鍋もそれはそれで美味しいよね」
というような感じだ。
しかし、西日本一部ローカルの民衆にはそれはできない相談なのだ。
「憎い」から。
そこで、納豆はつまり「巨人」のようなものなのだなと思う。
別に「納豆」という食べ物が東京を代表するようなものではないし、
「東京らしさ」でもない。
西日本一部ローカルをのぞき、全国的に食べられている人気食品である。
でも、彼らには違う。
「納豆」は東京の象徴なのだ。
理由なんかどうでもいい。
「東京もんが食っとるあんな気色の悪いもんを食えるか!」
と言えれば気持ちが良いのだ。
コラムに戻って、例えば「読売巨人軍優勝」というタイトルで書いたとする。
(まあ、この新聞があえて読売を出す可能性は極めて低いがね)
すると例によって、西日本ローカル民たちはこぞって、
「ゴミ売の応援なんかしくさって!もう買わんぞ!」とかなんとか、
苦情を叩きつけるはずだ。
しかし「阪神タイガース優勝!」のコラムがでても、
東京人どころか、ジャイアンツファンや他球団のファンであっても、
苦情なんて一切言わないだろう。
(いや、なかにはいるかもしれないがな……)
こうして、西日本一部ローカル民は、
「仮想東京」の物体に対して、憎しみをぶつけ続けるのである。
哀れなことだな。
少なくとも、彼らが思う程度の100分の1も、
東京民は大阪を意識していないというのに。
しっかり、おこげをつけた雑穀玄米に納豆。
美味
賞味期限をかなり過ぎたものでも、そんなに保存が悪くなければ、
美味しく食べられます。
納豆を食するにあたって一番ダメなのは、
「冷蔵庫から出してすぐ食べる」ことです。
これだと、納豆本来の旨味を引き出せないし、
保存中にこもった嫌な匂いもしっかり残ったままになるでしょう?
納豆は、食べる30分前くらいには冷蔵庫から出して、
ほんのちょっと卵白を加えて、
しっかり空気を含ませるようにまんべんなく撹拌して、
暖かいところにおいておく。
これで旨味もアップし、いやな匂いもほぼ消えます。
(保存の悪いアンモニア臭のきついのはダメだけどね)
魯山人ぐるぐるをやるのは、バカ舌だけですからやめたほうがいいですよ。
ごま油でさっと炒めただけの味を入れない野菜炒め。
生姜をけっこう使って味が出る。
今日も良く焚けました
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(天声人語)納豆をフランスへ
2015年2月21日05時00分
落語家の五代目古今亭(ここんてい)志(し)ん生(しょう)は一時期、寄席から締め出されて納豆売りをしたことがあるという。しかし、売れなかった。「納豆ぉ〜」という呼び声が恥ずかしくて出せなかったからである。仕方なく売れ残りを朝昼晩と食べ続けた▼そんな失敗をしても、納豆を嫌いにはならなかった。年を取っても毎朝食べた。他のおかずはいらなかったそうだ。長女の美濃部美津子さんが著書『三人噺(さんにんばなし)』で思い出を語っている。「とにかく、納豆なしじゃいらんないってくらいでしたね」▼好き嫌いが分かれる食品だろう。20年ほど前の小欄が、納豆のことを「おそるおそる」書いている。その前に取り上げた時、西日本の読者から苦情の手紙を何通も頂いたからである。少なからぬ納豆嫌いに向け、独特のにおいや粘りを抑えた製品がつとに開発されてきた▼今度は、混ぜてもポロリと箸から落ちる納豆の登場だ。粘り成分は通常より25%少なく、混ぜる時の抵抗は3分の1程度という。国内の消費が細る中、「水戸納豆」で知られる茨城県が県内の企業と組んでフランスへ売り込んだ▼豆を煮込む伝統料理「カスレ」に使ったり、ペースト状にしてパンにのせたり。先月、リヨンであった見本市に出品して提案したところ、関心を持たれたそうだ。美食自慢の国に受け入れられるか、楽しみである▼糸引きの弱い納豆とは何か頼りない感じもするが、和食を世界に発信する挑戦の一つとして頼もしくもある。「納豆ぉ〜」と呼ぶ声が響いてくる。
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