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2014年12月06日01:50

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恐ろしく情報の詰まった本

古代出雲について恐ろしく情報の詰まった本を見つけました。著者は斎木雲州さんです。一目でペンネームだと分かりますね。
最初に読んだのは『出雲と大和のあけぼの』、大国主命と言代主が亡くなったのは徐福の謀略であったことなど詳細に記されています。けれども情報源が簡単にしか示されていないので、どこまでが出雲の古伝承でどこからが著者の研究推理によるのか判明でなく、自分の中では正否の判断は保留していました。
次に同じ著者の『―大社と向家文書― 出雲と蘇我王国』を手に入れて冒頭の部分を見てこの人が古代出雲王家の末裔、富當雄さんの息子であることが分かり、この著者の伝承が非常に重要であることを確信しました。

最初に古代出雲王家の伝承者が生きていたというのを知ったのは関裕二著『「出雲抹殺」の謎』の中の「大国主神の末裔 ・富氏の謎」でした。その一節を引用します。

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「大国主神 」の末裔が健在で 、しかも 、出雲国譲りの重大な秘密と深い恨みを語り継いでいる 、という有名な話がある 。
このおどろおどろしい話を広く世に知らしめたのは司馬遼太郎氏だ 。
『歴史の中の日本 』 (中公文庫 )の 「生きている出雲王朝 」のなかで 、司馬氏の勤め先だった新聞社の上司の 、 W氏の話がある 。
その W氏は出雲の出身で 「語部 」であったこと 、しかも先祖が大国主神だったという 。司馬氏は 、まるで 「白昼に亡霊を見るような観があった 」といい 、 W氏から 「出雲は簒奪されているのです 」という言葉を引き出している 。すなわち 、大国主神の出雲は 、出雲国造家の祖に 、簒奪されていた 、というわけである 。しかもその話を 、代々 、語り継いできたというのである 。
出雲の語部に注目したのは 、この司馬氏だけではない 。吉田大洋氏は 『謎の出雲帝国 』 (徳間書店 )のなかで 、直接 W氏と会い 、貴重な話を聞き出している 。
司馬氏のいうところの W氏は 、富當雄氏が本名だ (出雲では正式には富上官出雲臣財當雄と呼ばれている ) 。
富一族は 、代々 、親から子へ 、出雲の大国主神の悲劇と 、この一族の悲劇を語り継いできたのである 。
吉田氏は 、その富氏が 、出雲の国譲りの舞台である稲佐の浜で 、
「私の先祖は 、侵略者の目の前で 、抗議の自殺をしたんだ 。ここでだ 、ここで ! 」
とうめいたという女性週刊誌の記事を引用し 、また 、富氏が出雲のなかで迫害を受けてきたこと 、かつて毒殺された者が数名 、発狂したふりをして身を守った者も現われたことを記している 。
富氏が実際にくだんの発言をしたのかどうか 、週刊誌の記事や吉田氏の著書をもって判断することはできない 。
ただ興味深いのは 、大国主神の末裔である富氏が 、今も語部として生きている 、という事実である 。そして 、出雲の地で何かしらの悲劇がなければ 、このような執念をもった一族が現われないであろうことも 、容易に想像のつくことだ 。
実をいうと 、私自身も 、一度 「富氏 」に接触しようと試みたことがある 。月刊誌 『歴史街道 』 ( P H P研究所 )の取材で山陰地方を旅したとき 、編集長の辰本清隆氏にお願いして 、富氏と出雲国造家の千家氏にお会いできないかとお願いしたのだ 。
だが 、夢は叶わなかった 。富氏 (おそらく富當雄氏のご子息 )は 、東京に出たまま音信不通とのこと 、また 、出雲国造家は急には無理 、という話だった 。
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斎木雲州さんは「真実の出雲史を普及させてくれ」との父の遺言を受けて、定年前に大学を退職し大元出版を立ち上げ、自分の著書を発表されました。
司馬遼太郎が富當雄氏をカタリベと記していたことに対して当人は「向家[富家]はカタリベではないよ。カタリベとは身分が違うし、向家の伝承は、カタリベの話とは比較できぬほど正確なものだ」と話していたそうです。
この大元出版から『山陰の名所旧跡 ー地元伝承をたずねてー』勝友彦著という一見普通のガイドブックのような本が出ています。
一項目見開き2ページに、斎木さんに基づくと思われる古伝承のエッセンスがさりげなく散りばめられてるのでお勧めです。
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