マララさん、サティヤルティさん両氏のノーベル平和賞受賞、
おめでとうございます、
マララ・ユスフザイさんの受賞は最小年齢での受賞となり、
重ねてめでたく思います、
今回の受賞を茶化したり、軽く扱うつもりは全くないのですが、
マララさんはまだ17歳、両親、
ウチは男ですので父親の気持になって考えていたのですが、
その中で現状の日本に巣食う左翼の思想が垣間見えたように思えたので、
受賞のニュースに対しては不躾ですが、日記にさせていただきました、
マララさんのスピーチをTVで観ながら、
父親の心境としてはどうなんだろう、と想いますと、
本当に頭のいい、闊達などという言葉では語りきれない娘だ、
普通、闊達な娘、と言えば、せいぜい学校でクラス内で、
クラスメートや先生に自分のメッセージを送れる、それくらいの闊達だ、
ところが娘のマララ(敬称略)は、クラス内でのメッセージを送るレベルではない、
学校内の言うレベルでもなく、地域でもない、
言わば世界に向けてメッセージを送る存在になった、
トンビが鷹を産んだ、どころではない、
本当に誇りに思える娘に育ってくれた、
だが誇りには思うのだが、マララの身の安全を考えると暗澹たる思いだ、
実際、襲撃を受け、奇跡的な回復を遂げたものの、
一時は命も危うい危険な目に遭った、
マララが世界に送るメッセージは、いつか誰かがやらねばならない事だ、
だが、その責務は私の娘には背負わせたくないし、背負って欲しくはない、
とんでもない自己保身だとおもうだろう、世界に対する背徳ととられても仕方ないだろう、
しかし世界が民主化の歩を歩む礎に、私は娘を提供したくないのだ、
世界の女性の権利を高めるための犠牲にも娘を差し出したくはないのだ、
マララに害意を持つ組織団体集団を根絶できるだろうか?
少なくとも父親の私にはその手段は持ち得ていない、
害意を持つ人物から、銃などの凶器をとりあげる事ができるだろうか?
やはりその手段も私には持ち合わせていない、
なんと力無き父親だろうか、
娘を誇りに思う、と言った言動と矛盾するのだが、
できることなら世界に向けてメッセージを放つ、
そう言った役割から身を引いて欲しい、と願ってしまう、
だが娘の思いは私のそれより遙かに強く、
信念の強さ、という点では誇りにも思うのだが、
私としては何よりも自分の安全を考えてほしいのだ、
身の安全、という点で考えると、
我が国パキスタンは危険としか言いようがない、
武装した組織はいくつも存在し、
武器の流通も潤沢で、それ自体が脅威ですらある、
今回の受賞で、かなりの金額を手にすることになった、
それ自体は吉兆なのだが、
前回と同じような襲撃、という恐怖とは常に隣り合わせだ、
また命の危険になど逢ってほしくはない、
願わくば、そう、本当に願わくばだが、
世界に対するメッセージを送るなら、
せめて安全な国に移って送ってくれないだろうか、
そう、できれば日本のような、
将来の事はわからないが、
少なくとも現状では武装した組織もなく、
銃も厳しく取り締まられている、
今、パキスタンで放っている世界へのメッセージはそのままに、
場所を日本に移して発信してもらいたいのだ、
放つメッセージが同じなら、放つ場所がどこだろうと大差はないだろう?
安全が確保されている場所で、主義主張を送ればよいではないか、
日本でなら安全が確保された上に、娘はノーベル平和賞の受賞者だ、
講演を開けば人も集まるだろう、それ相応の収入にもなるだろう、
娘の収入を私が当てにするわけではないが、
生活の基盤ができ、安定することはよい事だ、
だが私の切実な願いを娘は拒絶するだろう、
虐げられている女性らの現状を世界に訴えるのに、
女性の立場が確立した国に移って発信して、
なんの意味があるのか、と娘は言うだろう、
世界の歯車を組み替えるための犠牲に娘はなって欲しくない、
私が守りたい世界とは、本当に狭い世界なのだ、
と、まぁ、このように思いを馳せてみますと、
あれ?この続きが存在するとすれば、
日本に多くいらっしゃる反日左翼、と呼ばれる各種団体や個人さん、
女性の権利が確立した上で、今も虐げられた女性の看板を降ろさない各種団体、
そういった反政府、反社会、反権力を主張する組織団体、
その成り立ちが、なんとなく分かってきたような気がしました、
例えば子供が学校に通えるように、と主張する団体を作れば、
義務教育が施行され、皆が学校に行くようになれば、
その団体は役割を終える訳です、
ところが例えば女性の権利を、と訴える団体を作れば、
もし女性が大学には行けない、となっていたなら、
行けるようになれば目的達成です、
離婚ができない社会であれば、できるようになれば達成ですよね、
日本では現実の女性に法の庇護を享受させる、という目的ならば、
既に完成されており、役割は終わっているのです、
ですが、そういった団体は次の目標を掲げて解散とはなりません、
その最たるものが非実在青少年の保護、と言うやつです、
非実在、とはアニメや漫画、小説などに登場する少年少女であり、
つまりキャラクターと称されている存在です、
保護、といっても、実在しない存在の保護って、
どうやってするんでしょう?
そんなものにまで保護の対象を広げねばならないほど、
やるべき仕事は終わっているのです、
埃ひとつ落ちてないほど完成された掃除を済ませたのに、
掃除完了としないのは、仕事としての活動が終わってしまうから、
荒唐無稽な主張をしてまで、要求を出し、
それが完遂すれば、次の目標を掲げてスタートです、
その要望や目的達成のためには、社会に多大な弊害があろうとも、
意に介さず貧欲に追い求め続ける、
生きる権利を追求し続けた結果、
殺人者の生存権を最大限に主張し、
死刑の廃止を訴える、自称人権派、と呼ばれる人物らも同様ですね、
マララさんの受賞とは関わりの薄い事柄の日記になってしまいましたが、
身の危険のない社会で、主義主張を訴えるというのは、
本当に慎重にせねば、それ自体が暴力と大差ない存在になり下がる、
そのように思えてならない今日この頃ですよ。
マララさんとサティヤルティさんにノーベル平和賞、壇上に男乱入も
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=52&from=diary&id=3180692
[オスロ 10日 ロイター] - ノルウェーのオスロで10日、
ノーベル平和賞の授賞式が行われ、
パキスタン出身で女子教育の権利を訴え続けているマララ・ユスフザイさんと
インドの児童労働問題に取り組んでいるカイラシュ・サティヤルティさんが共同受賞した。
17歳のユスフザイさんは最年少の受賞者。
受賞スピーチでは「この賞を受賞した初のパシュトゥン族であり、
初のパキスタン人であり最年少者であることをとても誇りに思う」と述べた。
その上で、「年下の弟たちと今でもけんかをしている受賞者も、私が初めてだと確信している」と、
冗談交じりに語った。
サティヤルティさんは「私は声なき声を代弁している。
罪なき者の叫びや目には見えない顔を代表している」と語った。
授賞式では、2人に賞が授与された後にメキシコの国旗を掲げた男が壇上に乱入し、
警備員に取り押さえられる騒ぎがあった。
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