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2009年05月12日00:07

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面白いお話。(ただし長い)

面白いネタをいつもありがとう!
以下すべてサンチャンさんの日記からコピペ

● クリチバは「泥中で咲く蓮の花」。
人間都市クリチバ

http://secusou.blog.shinobi.jp/Entry/1407/ 大日本セキュリティさん

昔、知り合いに日系ブラジル人3世の人がいて、「出身はどこ?」って聞いたら、たいそう誇らしげに「クリチバ」と答えていたのを思い出します。(「クリチバ」というより、「クリチーバ」という発音に近かったような...。)10年以上前の話だから、その時はピンと来なかったのですが、ブラジル国内はもとより、欧米でも「環境先進都市」として有名だったようです。

最近では、日本でもテレビなんかで取り上げられていますね。このクリチバというブラジル南部の都市は、都市計画の教科書として、アフガニスタン復興計画の都市モデルともされているようです。クリチバは150万都市で、日本で言えば、人口や人口密度的にも福岡と近いイメージです。

上の本を読んだのですが、クリチバ成功の秘訣は何といっても、ジャイメ・レルネル市長という人のユニークさに拠る所が多いと思うのです。リアル・シムシティの達人というか、日本で言う「容積率」みたいなものを細かくコントロール(ゾーニング)し、人の集まるような所は大幅に容積率を緩和し、バス路線(乗換えしても市内均一料金)を集中させる。

逆に住宅地のような所は、規制を厳しくする事で、渋滞を避け、生活しやすくする。基本的に車より、歩行者を重視するように道路が設計されており、「歩道がメイン、車道がサブ」のような形を作る。

だからと言って、決して不便ではない。コストのかかる地下鉄を諦めた替わりに、クリチバは市内どこからでも500メートル歩けば、「5分に1本頻度」のバス停留所にたどり着くように都市設計がされている。クリチバは「5分」というのがキーワードになっており、市民は5分歩けば誰でも、公園にアクセスできるように設計されている。ただ、公園を作るのだってコストはかかる。

ところが、ここにも先程、紹介した「容積率」マジックが活かされる。公園の為に土地を提供する地権者に、見返りとして「容積率の緩和」を認めるわけだ。しかも、公園の名前は地権者の名前にちなんだものとなるそうだ。市は財政的な負担をすることなく地上げができ、地権者も利益と名誉を得る....。

レルネル市長のアイデアはここだけに留まらない。大きな公園を作ると雑草の処理コストがかかる。「じゃあ。羊を放し飼いにして、雑草を喰わせよう。糞は肥料にもなる。子供達も喜ぶ。ついでに、公園管理者は羊飼いの格好をさせよう。」.....。コイツを本当にやってしまった。(羊飼いの格好だけは今はやっていないそうだ。)


こないだやっていたテレビ番組なのですが、ここで日本人の元環境局長・中村氏が登場してきますね。この番組自体は日本人マンセーみたいな取り上げ方なので、クリチバの一つの側面でしかないのですが、この街の面白さは伝わりますね。

実はこの街は私たち日本人がイメージする「怖いブラジル」的なスラム問題も抱えているわけです。番組内で出てきた「スラムの寺子屋」にもこういうエピソードがあります。

中村氏が「寺子屋」を作った時に、「ガードマンを付けろ。そうしないと、金目のものは皆盗まれるぞ」と忠告を受けたそうです。ところが、中村氏は「ガードマンは学校に相応しくない」とその忠告を拒否。

結果、開校当日の夜には泥棒が入って、金目のものは全て盗まれてしまった。ただ、話はここで終わらない。中村氏はこう訴えた。「自分たちの弟や妹が勉強する学校から物を盗むな。とにかく、盗んだものを返してくれ!!やるなら、よそでやってくれ!!」と、その話がスラム全体に伝わると、盗まれた物のほとんどが「寺子屋」に戻ってきた.....。

環境都市はスラムの教育から始まった。というのも、ごみの分別等をスラム以外で推し進めようとしたのだけれど、「なぜ、スラムの貧乏人だけ特別扱いするんだ?俺たちだけ面倒くさい思いをするのは御免だ。」という事で最初はクリチバ市全体には広がらなかった。

番組でも取り上げられた「野菜とごみ」の交換は、グラム対比1:4で行われ、ごみ分別は「可燃不燃」ではなく、「再生可能か不能か?」で行わせた。このシンプルな環境教育を「寺子屋」で行う事で認知が高まり、スラムの生活を支える一種の産業となった。また、スラムに関しては、市やNGOが、不法占拠者と地主の間を取り持ち、小額でもいいから売却できないかコーディネイトしている。不法占拠のスラム住民が合法居住者になれば将来に対する希望が持てる。一方、地主も不良債権として絶望視していた土地から、少しでもお金を回収できれば有難い.....。

クリチバ市の成功は、ユートピアでの成功ではなく、「泥に咲く蓮の花」のような成功だから世界に希望を与えているのでしょう。どん底のアフガニスタンのロールモデルはクリチバ市しか考えられないようです。



●ブラジルの環境首都「クリチバ」にみるユニークな環境への取組


クリチバ市はサンパウロから西へ約400km離れたブラジル南部パラナ州の州都である。標高は約900mの高原都市であり、面積は420km2、気候は亜熱帯から熱帯に入る。人口は150万人、クリチバ市を含む周辺25都市で構成されるクリチバ大都市圏では、人口は240万人を数える。クリチバ市は、一人あたりの緑地面積が52m2にものぼり、土地利用と整合のとれたバスによる効率的な公共交通システムやユニークなゴミの分別回収システムを有することからブラジルの環境首都として知られている。

以前より、クリチバ市は計画的な都市政策・環境政策を持つ都市として一部の専門家には知られていたが、1992年にリオデジャネイロで開催された地球サミットの1週間前にクリチバ市で国際環境都市会議が開かれ、世界各国の人々がその成果を実際に目にして以来、一躍世界的に知られるようになった。

また、クリチバ市は、1989年1月1日に環境都市を宣言し、1991年には国連からクリチバ市のゴミ対策が優れているということで賞を受け、また1992年の地球サミットでは、環境改善に多大な成果を納めた都市として北九州市とともに表彰されている。クリチバ市がなぜこのような成功をおさめることができたのか。本稿では、クリチバ市の環境へのユニークな取り組みについて紹介をしたい。

■すべてのはじまりは「人を大切にする街づくり」にあった

クリチバ市の取り組みは1965年に市のマスタープランが作られた時に始まる。このマスタープランのテーマは「人を大切にする街づくり」であった。

当時は、「環境共生型都市」などという言葉はまだなかったが、クリチバ市の環境共生型都市への歩みは、このマスタープランから始まったのである。このマスタープランの策定に深く関わり、1971年から合計3期(12年間)市長を努めた都市計画家のジャイミ・レナー市長(現パラナ州知事)によってこのコンセプトは次々と実現され、谷口カシオ現市長に至るまで一貫してその取り組みが続けられている。

1970年代の初頭は、ブラジルではモータリゼーションの黎明期であり、ブラジリアに見られるような自動車交通を中心とした都市計画が、21世紀に向けた街づくりの手本であるとされていた。しかし、クリチバ市では、こうした世界の流れに逆行するように自動車を排除したまちづくりを目指した。なぜなら、自動車に占拠された街は、人を大切にした街ではないと考えたからである。このため、クリチバでは街の一番の繁華街の大通りから自動車を排除し、ここを歩行者専用モールとした。この計画には、当初大通りの商店主は全員反対であったが、現在では市民が集い憩える場所として市民から愛され、クリチバ市の顔の一つとなっている。

■土地利用計画と整合のとれたバス交通システム

クリチバ市の取組で最も良く知られているものが、土地利用計画と整合のとれたユニークなバスによる公共交通ネットワークシステムである。市の中心部を起点とし、5本の幹線道路が郊外へ延びている。これらの5つの幹線道路には急行バス専用レーンが設けられている。

バスは、1両から3両連結のものまで輸送力に応じて構成されており、3両連結のバスは一度に270人の乗客を輸送することができる。また、5本の幹線道路を結ぶ4本の環状路線と幹線道路から各コミュニティーを結ぶフィーダー路線が設けられており、市内のどこにでも、同一料金で乗り継ぐことが可能となっている。

また、クリチバ市では土地利用法によってこの交通幹線軸に近いほど、高密度な土地利用が可能なように制定されており、スプロール的な開発が抑制されるとともに公共交通機関の利便性を高めている。

1970年代の初頭、都市交通問題の切り札は地下鉄であるとの意見が定説であったが、クリチバ市の財政力や技術力では、地下鉄を建設・運営する力がなかった。このため、クリチバ市では、自分たちに見合った技術であるバスによって、地下鉄に匹敵する輸送能力を持つユニークな交通システムを作り上げたのだ。

■一人当たり52m2の緑地

1970年代当初、クリチバ市の緑地は一人当たり0.6m2程度であった。人口はまだ60万人程度であったが、市街地の中にはすでに緑地は少なくなっていた。また、市街地に多くの公園を整備することは、財政的にも困難なことであった。

そこで、クリチバ市では市域を取り巻く河川周辺の緑地を保全する道を選んだ。河川の周辺は、たびたび氾濫を起こす場所であり、宅地化が難しいため地価も安く、手つかずの自然が残されていた。また、放っておくとどんどんスラム化していく場所でもある。

こうして、河川を自然のまま保護し、残されている自然林を守りながら、湿地帯や氾濫原には雨水による増水を調整するための大きな池をつくり、全体を自然公園として整備していったのである。現在、こうして作られた公園は、市域を取り巻くグリーンベルトとして機能し、市民一人あたりの緑地面積は52m2にも達している。

■生きた環境教育としてのゴミの分別回収

クリチバ市の環境への取組の一つに、ユニークなゴミ対策がある。これは、「ゴミでないゴミ運動」と呼ばれ、1989年から始められた。当時、クリチバでは、バスによる効率の良い公共交通システムや緑地の確保については成功していたが、一般市民の意識はまだまだ環境に向いていなかった。もちろん、それまでも教会や学校で環境について教育は行われていたのだが、それが単なる知識にとどまっていたのである。そこで、毎日の行動を通して市民の意識を改革する方法がないかということで始められたのがこの運動である。もちろん、もう一つには、ゴミの埋め立て処分場の寿命を伸ばそうという意図もあった。

「ゴミでないゴミ運動」とは、家庭から排出されるゴミを「ゴミ」と「ゴミでないゴミ」(資源ゴミ)に市民が家庭で分別する運動である。クリチバ市がユニークなのは、このゴミ分別回収を市民の環境学習実践の場としてと位置づけたことにある。市民の参加を得るために、クリチバ市では、ゴミの分別回収が自然環境の保全につながることを徹底して市民に啓蒙した。

「葉っぱ家族」というキャラクターを作り、学校等を通じてゴミの分別回収がいかに環境保全に役立つかを市民に伝えた。また市内には、紙をリサイクルすることにより切らずにすんだ木の本数が、わかりやすく示されている。こうした取組により、市民は毎日のゴミの分別という行動を通じて、自分達も自然環境の保全運動に参加しているという実感を持つのである。

クリチバ市の二つ目のユニークな取組は「緑の交換計画」と言われるものである。これは、「ゴミでないゴミ」を野菜と交換するプログラムである。現在、市内の55カ所でこの交換が行われており、クリスマスには野菜の代わりにおもちゃや文房具との交換も行われている。
こうした様々な取組の結果、現在、クリチバ市民の意識調査では、「クリチバ市が良い街」であるということに対する一番の理由に「ゴミの分別回収」が挙げられるまでになっている。


■ブラジル全土へ広がるクリチバ市の取組

元市長のジャイミ・レナー氏がパラナ州知事となった現在、クリチバ市の取組は、クリチバ大都市圏やパラナ州、またブラジル全土に広がろうとしている。一例を挙げれば、現在クリチバ市では、子供や住民が自分達で河川の水質を測定するプログラムを環境教育の一環として実施している。ブラジル連邦政府はこのプロジェクトに注目し、ブラジル発見500周年の記念行事の一つとして来年ブラジル全土の500地点で、このプログラムを実施するという。

「環境共生都市」として世界に知られるクリチバ市だが、その街づくりの基本テーマは「人を大切にする街づくり」であった。すなわち、「人を大切にする街づくり」への取り組みを続けていった結果「環境共生型都市」が結果としてできあがったのである。またその取組の中で、自分たちの財政力や技術力に見合った解決策を真摯に検討し、果敢に実行に移していったということが、世界的に見てユニークな環境都市となった理由であった。

環境共生型都市とは、何も特別なことではないのだ。「人を大切にした街づくり」を行うというきわめてあたりまえの考え方で、街づくりをもう一度見直し、自分たちにできることは何かについて知恵を絞り、取り組んでいくことが環境共生型都市実現への一番の近道なのではないだろうか。




ブラジルの地方都市の一つであるクリチバ。

おいらは全くこの都市のことを知らなかったのだが、何やら環境共生都市として世界的には有名な都市なようだ。

先日日本のテレビ局で、世界で活躍する日本人を特集すると言う番組で、このクリチバ市の環境部長として尽力した一人の日本人を紹介していて、その街づくりの見事さに思わずうなってしまったほどだった。

今世界では現代的な豊かな生活を送れているのは3分の1弱。
残りは貧困にあえぎ、飲み水すら確保できず、常に死と隣合わせの生活をしている者は10億人以上はいる。

アフリカや中東、中南米などが貧しい国の多い地域で、日本でもよくテレビなどで彼らを救えと放送されている。

おいらはアフリカなどの国々には日本の江戸時代の街づくり、国づくりのやり方が最も相応しいと思っているのだが、それらよりは多少は発展した国々には、このクリチバモデルが凄く良いのかも知れないと思った。

そしてもっと言うと、日本などの先進国でも特に疲弊した地方都市などは学ぶべき点がほんとに多いとも思った。

日本人は本当に目に見える範囲での部分的改良などは大好きで熱中して良い物を作り上げるのだが、まっさらな状態から全体像を構想すると言う作業は破滅的なまでに苦手だ。

日本の都市を見ればそれは一目瞭然だろう。

統一された思想無きままに作られた都市計画によって、地区配置などもばらばら、容積率などもばらばら、道路は狭くあちこちで行き止まりで寸断され、公園なども作ればいいんでしょ的なやっつけ仕事で数だけ揃えるのに必死。
地下鉄を作るのが一種のステータスだと錯覚した馬鹿が採算性度外視で、しかも既存の鉄道と被りまくりで何ら役に立たなかったり、その地下鉄に膨大な金を取られてしまい、その分バス事業を縮小してしまったり、増え続けるゴミに目をつぶりひたすら海に投棄したり。

とにかく日本の街づくりの醜悪さには反吐が出る。

このクリチバ市がここまで上手く行ったのには、やはり一本の統一された思想がしっかりと出来上がっていたからであろう。

クリチバ市で言えばそれは「人を大切にする街づくり」にあった

ブラジルも最近になってようやく経済成長を果たし大国となってきたが、一昔前では国家経済破綻直前まで行ったりして悲惨な状況が長く続いた。幾度となく高インフレが襲い、時にはハイパーインフレ状態にまでなったこともある。

おいらぐらいの世代だとキャプテン翼でブラジルと言う国を知ったと言う者も多いかも知れない。そこでも数百万人のスラムが存在し、彼らが這い上がるにはサッカーしかなく、それゆえに純粋で強いと言うような表現があって、ブラジルとはそう言う国なのかと思った記憶があるほどだ。

それゆえに豊富な資金があって完璧な都市計画が出来た訳では決して無い。

今置かれた状況、自分たちの実力をしっかりと見定めて、その中で出来ることを最大限の努力を持って行うことをしてきたのだ。

金がなく地下鉄を諦めざるを得なかったが、その代わりに地下鉄が無くともそれ以上の効果が得られるようなシステム作りを行った。

結果として地下鉄を敷くよりも100分の1のコストで、それを遥かに上回る効果を得たのだった。

これは資金不足に悩む途上国には最高のお手本になるのと同時に、日本の地方都市も見習うべきだろう。

例えば横浜などでは地下鉄は本当に効果の薄いところを走っている。
しかも運賃が私鉄に比べて30%以上も高く、利用者も伸びていない。

●横浜市営地下鉄グリーンライン/1日の乗車人員、目標の6割程度
http://www.kanaloco.jp/railroad/entry/railroad391/


横浜と言う土地は至るところが丘陵地で、しかもかなりの急角度、長距離の坂だらけだ。
うちの近くの桜ヶ丘などは山の上に行くまでに300M〜500M級の坂を上って行く必要がある。
昔は坂の上の方が高級感があったようで多くの住宅が作られたが、やはり交通に不便でスーパーなども坂の下にあり、高齢化が進んだ今重大な問題となっている。

そう言う地区が横浜には至るところにある。にも関わらず、この地下鉄に膨大な金を使ってしまい、また今でも予測を下回る利用しか得られないため収支が厳しく、そのためバス事業の方にしわ寄せが行き、多数の路線が廃止されることとなった。

人口350万を超えるこの横浜において、1時間に1、2本しか来ないところが一気に増えている。
横浜で言えば、鉄道は私鉄に任せれば良かったのだ。もし延長したり、駅を増やして欲しいと思えば財政支援を行えば良かった。
むしろ坂ばかりの地域の特性に即して効率の良いバス路線の開発を行うべきであっただろう。



また、クリチバ市の凄いところはこれだけじゃない。

貧困層の解消にも行政が必死になって取り組み、その改善に成功をしている。

これもまた金が無いなかで、取り得る手段を一生懸命自分たちで考えてそして実行した。

貧困が生まれる最大の原因はやはり金を稼ぐことが出来ないことだ。当たり前のことだが絶対的な真理でもある。

ようは働いて食えれば、例え金持ちでなくとも貧困と言う状態にはならない。

クリチバではゴミの回収などでゴミを分別して出すと野菜と交換したりしたが、これらの作業をスラム街の住人たちにやらせることで、金を稼ぐことも出来るし、街としてもきれいになりコストも最小限になると言う一石二鳥の策を行った。

また、金を稼ぐための仕組み作りも必要で、それが教育であるが、ここでも金がないためにアイデアでそれを補った。
いわゆる日本の寺子屋システムを採用したのだ。

ここでもスラム街の先輩たちを雇ったりして職を与えつつ、子供たちに教育を施すと言うことをやった。

これらだけで100%スラムを排除できるものではないが、着実な底上げに繋がったことは確かだろう。
スラム街の拡大、悪化を防げたからこそ人口も大きく増加し、全国でも人気の街になれたのだ。成長路線に乗れば仕事も増え、それがまた貧困の解決にも役立ったであろう。


翻って日本はどうなのか。日本の地方では今金がないの大合唱で、補助金をクレクレ祭りだ。
本当に現状最早何も出来ないほどお手上げ状態なのだろうか。

既存の常識をとっぱらえば新しいアイデアが生まれてこないだろうか。

そのためにはお役所、お役人に丸投げでは絶対に良いアイデアは生まれてこないであろう。
今一度官民一体となって自分の住む街をどうしたら良くなるか考えるべき時期に来ていると思う。

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