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2024年05月24日10:06

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野良仕事の顛末

2週間程前に伯母に電話した。
毎年、梅雨入りまでに伯母は 祖父祖母か遺した畑(と言っても、大半は売却済みで 凡そ売却できそうもない、勝手に悪い土地)で 耕運機を使うので その日に手伝いに行くから教えてと毎年 声をかけることにしている。
伯母は遠慮しているのか、梅雨入りする頃には毎年「もう こっちて済ませたよ」と事後報告してくるのが恒例になってしまっている。

が、今年は少し様子が違った。
私が電話を入れた数日前に、伯父さんが背骨を圧迫骨折したというのだ。
という訳で、伯母からすると「今年はどうしたものか?」と思っているところに、私が「御用聞き」の電話を入れた事になったのだ。

この水曜日に 母方の実家の近くに住む伯母宅に、今回は電車で出掛ける事にした。
これまでは近鉄電車を利用していたのだけれど、今回はJRで出掛ける事にした。
JRの最寄り駅の方が、目的地まで少し遠いので その分 歩けるというのが理由。
もう一つ理由があって、かつて近鉄の運賃よりも割高だったJRの運賃が 知らない内に逆転していた事に気付いた事もあるし、JRの便数も増えていたこともあった。

件の畑は、母方の祖先が持っていた土地(畑)を鉄道を敷設する折に線路が横切る事(1898年頃)になって、元の土地が分断されて長方形だった土地が三角と台形になってしまって、台形はそこそこ纏まった土地だったので売却できたものの、三角は限られた土地だった事と 徐々に宅地開発されたものの、三角の畑にアプローチ出来る道が付けられることなく、他人の空き地を通らないとたどり着けない環境なので 売れ残っているというのが実情。
母方の兄弟姉妹は6人。この畑は6人の共有となっているのだが、畑に一番近い伯母が 家庭菜園として もう何年も利用している。

フォト



他の兄弟は、リタイアした高齢者で そもそも農家でもなかったので全くの無関心。

伯母から10時頃に来れば良いからと 当日朝に連絡が入ってので、一仕事こなしてから出掛けたら、駅に着くのご10時30分になってしまった。本来なら歩いて伯母宅まで30分ほど歩く予定だったのが、結局 歩けず終いで、11時頃から畑に出る事に。
カンカン照りだったのがいつの間にか 薄曇りになって、むしろ野良仕事に負担の少ない 恵まれたお天気となった。

当日の野良作業は、玉葱、にんにく、イチゴの収穫。
収穫跡の畑を鍬で耕して、周辺の雑草を刈って、伯母宅に戻って、玉葱とニンニクを乾燥させる為に風通しの良い場所に拡げて、3時過ぎには、全工程終了。
畑では まだ じゃがいも、小芋、豆、茄子、唐辛子、イチゴ等が生育中。
梅雨入り前に もう一度 手伝いに出掛ける予定。

伯母宅でシャワーを借りて汗を流して、少し遅目の昼食をいただく。
腰の骨を圧迫骨折して伯父さんは 意外とお元気だったけれど、何かと患部は痛い筈。

伯母宅のガレージに至る導線は砂利が敷いてあって、伯母と同居する長男(私の従兄弟)は そこにコンクリートを打ちたいというのだが、そこそこの面積があるので、かなり纏まった金額の見積りになっていて どうしたものかという話やら、看護師になった長女(私の従姉妹)が 近々 沖縄の宮古島から戻ってくる話やら、四方山話に花が咲いて 18時。
流石にそろそろ私も帰ると切り出したら、また車で送ってくれると言うので、断れずに結局 駅までの往復を歩く事は出来ず終いとなってしまった。

次回は なんとか駅から街を突っ切って歩きたい。シャッター街となってしまっている商店街も また愉しいし、大阪とは違った街並みを見るのも決して悪くはない。

帰宅してから、随分と変わった「子どもの頃に母に連れられて行った母方の田舎の町並み」を 追体験したくなってネットで昔の写真を検索していると、国道だと思っていた道路が 実は元は川だった事が解ったり(謎だった地形が実は川の跡の名残りであった事が判明!)、付近の鉄道敷設の歴史に感嘆したり、なかなかの「私だけのブラタモリ」に耽る時間を持てたりして、非常に興味深い再発見があったりと、普段の生活では味わえない1日となりました。


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