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2024年01月20日00:15

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゚Д゚) < 2つの愛が進行中 (Kaathuvaakula Rendu Kaadhal)

■「文系を選択した理由」は「理系科目が苦手だったから」が最多 教科への「苦手意識」が“文理選択”に大きく影響
(まいどなニュース - 01月17日 19:50)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=262&from=diary&id=7715037

 最初から、国語、社会は得意でスラスラ覚えられるのに理数系、英語は全然ダメだった私が通りますよっと。
 英語は、中1の時の先生はアルファベットの書き方で1ヶ月くらい時間とってやったために、他が駆け足になった感じになったところで苦手意識が強くなりましたですよ。ベリーシットですよ。

 そんなこんなで、大学受験の時ですら英語大嫌い状態でしたけどアラ不思議。
 日本語字幕のない映画を見たい一心で、いつの間にやら英語追っかけるのが苦じゃなくなってるんですわ。どっちか言うと、英語字幕を勝手に予測しながらテキトーにお話を予測するのが楽しかったりもしてますねん。どーゆーことでございましょう。数字関係はいまだに苦手意識が強いけど、英語は興味のある事に関してはそんなに苦手意識はナッシングですよベイベ。アイルビーバックですよチェリーボーイ!わーい(嬉しい顔)




2つの愛が進行中 (Kaathuvaakula Rendu Kaadhal) 2022年 151分(157分とも)
主演 ヴィジャイ・セートゥパティ & ナヤンターラー & サマンタ
監督/製作/脚本/作詞 ヴィグネーシュ・シーヴァン
"I LOVE YOU To."
"I LOVE YOU Two!!"

https://www.youtube.com/watch?v=oqEsncqQQqA

 TVリアリティショー「リアル・オア・リール」の司会者プラブーは語る…「さて視聴者の皆様。貴方は平凡な人生の中で、2人の女性と同時に結婚した男を知っていますか? そんな男…ランジャンクディ・アンバラシー・ムルゲーサ・ボーパティ・オホーンディラン……通称ランボーの興味深い人生を!!」

 叔母の語るところによると、ランジャンクディ村のランボーの家は周りから「あの家と結婚すると、すぐ命を落としてしまう」と噂される呪われた一族。
 ランボーの父親はそんな迷信を打破しようと、イスラーム教徒の英語教師ミナ・カイフと恋愛結婚してその幸せを村人たちに見せつけていたのだが、息子が生まれたその日に死んでしまい、程なく母親も脳卒中で倒れて記憶喪失になってしまった。彼女が覚えているのは、ただ息子の顔ばかり。幼いランボーは、自分の境遇について、ある日思い切って母親に尋ねた…
「僕が近づくと母さんの病気が悪化する。外に出ると雨が止む。…いつも、僕が欲しいものは絶対に手に入らない。僕を好きになる人なんていない。なんで僕だけが、そんななの?」
「…英語ではそれを"ジンクス"と呼ぶの。偉大な奇跡が起ころうとする前には、いくつもの小さな障害があるものなのよ。でもいつか、そうした障害は粉々に砕けてしまって、あなたは欲しいもの全てに囲まれて抱きしめられるのよ。その時は、みんながあなたを愛するようになる。あなたの上に雨が降ってくるわ。土砂降りの大雨になるのよ…きっと」

 程なく幼いランボーは、母親を救うために自分ができるだけ遠くにいなければならないと確信して1人家を出て行った。そのまま様々な仕事をして得たお金を家に仕送りして、自分は誰とも関わらず、何も欲しがらず、不運な自身をただただ受け入れるのみ。
 それから二十数年後。ティンドゥッカルのクラブの用心棒として働いていたランボーは、ヴィナヤカル・チャトゥルティ(=8〜9月頃のガネーシャ生誕祭)の日にクラブにやって来たある富裕層の美女カティージャーと知り合い…。

*********
「いいえ。それは嘘なの。彼はお祭りの日にクラブなんかにはいなかったよ。私のお姉ちゃんのカンマニと一緒だったんだから…」
 そう、ランボーと結婚の約束をする美女カンマニと知り合ったのは、あの日の昼だった…。


挿入歌 Rendu Kaadhal (僕の2つの眼を [両方へ向けようとしているのに])

https://www.youtube.com/watch?v=xdP2otxxohQ


わーい(嬉しい顔) 原題は、タミル語(南インド タミル・ナードゥ州の公用語。スリランカとシンガポールの公用語の1つでもある)で「そよ風の中の、恋人2人(=恋人2人と恋に落ちた、の意?)」。
 略称「KRK」で、インターバル直前に「KHATIJA RAMBO KANMANI(カティージャー・ランボー・カンマニ)」の略称としての「KRK」と混ぜて登場する。
 一方で、OPタイトル直前には、演じている役者の名前から「NAYANTHARA VS(VIJAY SETHUPATHI) SAMANTHA(ナヤンターラーVSサマンタ / VSはヴィジャイ・セードゥパティの頭文字)」のクレジットも登場して、タイトルとの緩やかな対比構造を見せる遊び心も(…怪獣映画のタイトルみたいだ…。してみると、主役はヒロイン2人の方で、セートゥパティは狂言回し?)。
 「俺だって極道さ(Naanum Rowdydhaan)」のヴィグネーシュ・シーヴァン監督による、5本目の監督作。

 インドと同日公開で、アラブ、フランス、アイルランド、シンガポールでも公開されたよう。
 日本では、2022年に埼玉県にてSPACEBOX主催の自主上映で初上映。翌2023年の渋谷インド映画祭でも英語字幕上映され、同年のIMW(インディアン・ムービー・ウィーク)で日本語字幕付きで上映された。

 クリシュナ神話を想起させるような、男1女2の三角関係ラブコメながら、終始気だるいゆるゆるな語り口が支配し、クリシュナのような複数の妻を同時に相手になんてできるわけねーだろ、とでも言いたそうな主要3人の「奇妙な重婚関係」を1度は受け入れながら、その状況・伝説の在り方そのものを笑い飛ばそうとする小粋な1本。

 クリシュナとの対比からか、絶対的な幸福と勝利の使者であるクリシュナの真逆を行く「不幸に取り憑かれ」「望むものを手に入れられず」「誰からも相手にされない」孤独な現代人を主人公として、その現代人の孤独が結びつかせる詩的な恋愛模様を美しく(メルヘン的に…あるいは諧謔的に)描いていく。その恋愛は、どこまでも純愛として描かれ、周囲の人々が冷やかしで下心的な面を強調しながらも、主役3人の内面描写にはランボーの母言う所の「偉大な奇跡」たる「人生の希望」としての愛のみが占められている。下手に描けば「嘘くさい」の一言で退けられるだろうその神話的三角関係恋愛劇を、「そよ風」「雨」に仮託した浮き立つ自然描写の中でお伽話的に紡いでいく語り口が、映画というものの最大の武器として現れていく映像詩であり笑劇であり、人の孤独を描く物語へと昇華させていく画作りになっていてスンバラし。

 意気投合しながらも、自分のことや未来に対して「多分」を連発する恋人カティージャー(「尊敬」「信頼」「内なる美しさ」「最初の子」の意。その起源・分類は諸説あるようだけど、預言者ムハンマドの最初の妻であり、彼のスポンサー兼保護者となった交易商人ハディージャに由来するアラビア語女性名が元とか)の抱える不安。
 発達障害児の弟を受け入れてくれない世間と対峙して、弟妹を守る強き女性として生きてきた恋人カンマニ(タミル語で「(まぶたによって守られる、美しい)瞳孔」の意で、タミル地方を中心に南インドで一般に「愛する人」「大切な人」の意味で使われる女性名)は、人との挨拶の際に「ありがとう。ご機嫌よう(=ワナッカムは、「こんにちは」であり「さようなら」であり「祝福を」でもある単語)」で話題や人間関係を断ち切って来た女性。
 その、会話上で連発される単語に現れる2人の性格の違い、これからの人生模様を象徴するかのような孤独感を含んだ口癖のありようが、主人公ランボーの諦観、孤独感とシンクロしていく人生の変転ぶりは、まさにそよ風が吹くことによって爽やかに雨雲が沸き立っていくかのよう。自分の理想と噛み合わない現実に翻弄される主要3人がそれぞれに出会うことで起こる「恵みの雨」が起こす大きな感情のうねりを、その場面その場面でのユーモア劇で軽やかに描いていく脱力感が、詩的であると同時に気持ちの良いラブコメへと展開していく。一見都合良く進む恋愛模様に込められた細やかな心情表現は、監督の前作「俺だって極道さ」を主演したセートゥパティ&ナヤンターラーの小粋さの、さらなる進化具合を見せてくれますわ。

 映画冒頭と中盤の舞台となるTVショーを一種のどんでん返しの仕掛けとして、または狂言回しとして使いながら、そこから望まない重婚生活を始めるヒロイン2人のマウント合戦、腹の探り合い、牽制具合が「なんだかんだ言って息ピッタリやな、2人とも」と思ってしまう可笑しさが、なんとも可愛らしい。それに翻弄され、どちらの側も立たせないといけないランボー役のセートゥパティの申し訳なさそうな演技が、シリアスな「'96」のそれを想起させもするところも可笑し可愛く楽しい。途中、同じセートゥパティ主演作「キケンな誘拐(Soodhu Kavvum)」みたいに、サマンタ演じるカティージャーが妄想彼女だったらどうしよ、とか心配してたけど、そんな事もなくちゃんと(?)重婚関係にキッチリとオチがついて良かった良かった。うん(…と言っていいのやらどうなのやら?)。あの解決したんだかどうなんだかなファジーなオチもトボけ具合が加速されて良きかな。終盤はもう完全に主役はサマンタ&ナヤンターラーの喜怒哀楽の衝突の方に移っていって、セートゥパティはその引き立て役になってましたネ。
 あと、とにかく「俺だって極道さ」と同じくシーヴァン監督作は、音楽監督アニルド・ラヴィチャンデルの楽曲を120%生かしてくれる楽曲演出がカッコええし楽しいし。何と無く脱力系でまとめたジャズ風な空気が、劇中映像に何倍にも軽やかなそよ風を吹かせてくれるのが良きかなー!


挿入歌 Two Two Two (トゥトゥトゥ)

https://www.youtube.com/watch?v=MJmxdlCtFWU

挿入歌 Naan Pizhai (僕はつまづく [君は舌ったらず])

https://www.youtube.com/watch?v=5RsrErWWf24

挿入歌 Dippam Dappam (ディッパン・ダッパン)

https://www.youtube.com/watch?v=tFX2UvkQj44

挿入歌 Kaathu Vaakula Rendu (そよ風に吹かれる2つの愛 [それが我らが友のお話さ])

https://www.youtube.com/watch?v=baEhZhgO3H8




・本作と同じ、ヴィグネーシュ・シーヴァン監督&ヴィジャイ・セートゥパティ&ナヤンターラー主演作「俺だって極道さ(Naanum Rowdydhaan)」はこちら
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1980720489&owner_id=3570727

・ヴィジャイ・セートゥパティ主演作「’96」はこちら
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1979372135&owner_id=3570727

・ヴィジャイ・セートゥパティ主演作「キケンな誘拐(Soodhu Kavvum)」はこちら
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1978064580&owner_id=3570727




・Kaathuvaakula Rendu Kaadhal を一言で斬る!
「恋が始まることを『そよ風が吹いて来た』、望むものが手に入らないことを『雨が止んでしまう』と語る、インド古典文学から受け継がれる詩的空間はなんと麗しい感情を喚起させられることよ…」
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