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2023年12月01日20:14

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ガリノイズ解散への道 2

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ピノキオの初期のレパートリーは三笘君の曲に私が歌詞をつけたものでした。
弾き語りライヴを2年やって詞も曲も自分で書いてきた私にとって、曲があって歌詞を書くという作業が妙に新鮮で。
この時期に三笘君に歌ってもらいたくて作った曲が「とんでもないことになった」です。
バンドへの提供曲という意識を持って作った曲でした。
最初は2人でスタジオ入りして何曲かアレンジまで固めて萩原了一さんにギターを手伝ってもらってたので、浅野さんが入ってからビブレライヴスクエアでのデビューライヴまでは早かったです。
その後、ピノキオは街頭ライヴの活動が中心になって行きます。
三笘君がアコギとヴォーカルで、私はシンバルとスネアの2点セットをブラシで叩くというスタイル。
横浜駅周辺で演奏してたのですが、当時は警察や警備員に止められることが多く、演奏場所を探すのに苦労しました。
浅野さんは出たり入ったりのような状態になり、2人で活動を続けます。
そんな時期に書いたのが「国鉄」という曲で、デモテープを三笘君に聴かせたら、これは佐藤君が歌った方がいいと言われ、この曲もピノキオのレパートリーに加わることになりました。
三笘君の兄貴が大阪に住んでいたので、その伝手で大阪や神戸のライヴハウスにデモテープを持って行って街頭ライヴもやったこともあります。
ただ、横浜と同様に当時の大阪も街頭で演奏してたら止められたんですね。
面白かったのが街頭ライヴをやってたら止ろと言われて、近場で演奏できる場所を探そうってことで移動して演奏してたら、また止められて。
それで、止めた人に"また、おまえらか!”と言われて。
面白かったな。
今もライヴで東京に行って、街頭ライヴをやってる人を見ると、この人たちも、そういう苦労を重ねてるのかなぁと。
ピノキオが街頭ライヴをやってた1980年代後半は演奏してたら止められての繰り返しでした。
横浜で街頭ライヴをやってる時に観に来てくれてた三浦さんが、大阪街頭ライヴツアーに同行してくれて、後にピノキオのメンバーになります。
まだガリノイズまで辿り着けてない。。。

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結局、ピノキオは横浜ビブレライヴスクエアでのデビューライヴから2年で解散します。
半分ぐらいの期間は三笘君と私の2人でやってたような気もするのですが、後期は週2日 街頭ライヴ、週1でスタジオに入って月1〜2の割合でライヴハウスに出てました。
横浜の元町にあるシェルガーデンというライヴハウスにデモテープを持って行ったことを思い出します。
解散まで毎月出させてもらってました。
活動的には充実してて、ベースの三浦さん、ブルースハープとコーラスの宮崎さん、キーボードの末永さんが入り、これからという時に三笘君がブルースを極めるために大阪へ移住したいと言い出しました。
これが解散の理由です。
シェルガーデンでも さよならライヴをやったけど、ラストライヴはデビューと同じビブレライヴスクエアでした。
その会場で一緒にライヴやりませんか?とオファーがあったのでとりあえず残りのメンバーと、オリジナルメンバーの浅野さんを呼んできてライヴを三笘君抜きでライヴをやりました。
その後もピノキオ残党でライヴをやる機会はあったのですが、私は残ったメンバーをまとめきれなくて自然消滅のような形に。
1年ぐらい紆余曲折してたかな。
私には三笘君の代わりは務まらなかったんだなぁと思い悩んでいた時に、ふっと、ピノキオ時代に書いた曲を持ってソロでアピアに復帰すればいいんじゃないか?と思ったのです。
そう思った時、ちょっと気分が楽になったのを憶えています。
元住吉の「ピンクのぶた」に行ってマスターに、またアピアに出させていただきたいと、お願いに行きました。
1990年のこと。

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ガリノイズになるまでを長々と語ってきましたが、今回で一旦人区切りです。
アピアに復帰した当初はピノキオ時代に書いた曲を、とりあえず全部演るという感じでした。
「とんでもないことになった」「影を見た少年」「国鉄」「Just like another time」「故郷の風」、それからピノキオ解散後に残ったメンバーでライヴを演るために書いた「月の影」「淡水魚」あたりをギター弾き語りで。
とりわけ私にとって意味を持っていたのは「国鉄」という曲で、この曲にリズムマシンを入れて演ってみようと復帰後しばらくしてから思い立ちました。
それで、私をドラマーへの道へと誘ってくれたMr.Loveの富永さんから譲ってもらったKORG KPR-77を引っぱり出してきて。
譲り受けてから全然使ってなかったのですが、説明書を読みながら打ち込んでみたら、これが面白くて他の曲のリズムパターンも試したりと。
ライヴで使うようになるとメモリーが1台じゃ足りなくて、中古で買ったローランドTR-707を使って、それでも足りなくてローランドR-70を使うようになります。
リズムマシンとギター弾き語り、これが現在へと続いたガリノイズの原型です。
アピアで最初にリズムマシンを使い始めたのが1991年ですから、このあたりだと思います。
つまり、
1991年:結成
2000年:直江実樹 加入
2008年:小倉純一 加入
2011年:山田花乃 加入
2023年:解散
となります。
直江さんが加入するまでの9年間のガリノイズはどういう活動をしてたのか、とかメンバー加入の経緯は、また解散ライヴ告知に併せて書こうと思ってるのですが、語りつくせるのか?
というか、書いてたら、また長くなっちゃって解散の日までに現在まで追いつけない可能性もあるな。


ガリノイズ LAST LIVE
12月16日(土)
阿佐ヶ谷 Yellow Vision
open18:30
start19:00
☆\2,500+1D
ガリノイズ
佐藤信昭(vocal,guitar,drummachine,compose)
小倉純一(guitar)
山田花乃(dance)
直江実樹(radio)
http://yellowvision.jp/
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