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2023年08月11日00:27

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゚Д゚) < Sutopar Thikana (シュトパの帰る場所)

■強い台風7号 お盆休みを直撃 週明け本州に上陸の恐れ 鉄道は計画運休の可能性
(日本気象協会 - 08月10日 18:30)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=174&from=diary&id=7521634

 狙ったわけではないけれど、ちょうど夏季休暇に入ったので来週火曜までは家にこもっていられる…んだけど、いまの予報だと水曜以降もまだまだやばそうなのがな…げっそり
 とにかくスピードが遅いし、威力は強いままみたいだし、停電とかデジタル系の受信不調とかまじ止めて。交通機関が遅れるのも止まるも勘弁して。私は、休暇の後に職場にたどり着けるのでしょうか…たどり着けたとして帰ってこれるのでしょうか…。行きはヨイヨイ帰りはこわーいーふらふら
 ユーリの帰る場所はどっちだ!
 明日はどっちだ!
 青春ってなんだ!!
 振り向かないことさ!!!(違




Sutopar Thikana (シュトパの帰る場所) 2015年 115分
主演 オポルナ・ゴーシュ
監督/脚本/台詞/原案/作詞 プロショーン・ラフマーン
"彼女の乾いた瞳が、語っていた…"

https://www.youtube.com/watch?v=A2AwmebEOgg

 その日、シュトパは息子夫婦になにも告げずに一人旅に出ていく。自分の部屋のものを整理し、財布と思い出を詰めたスーツケースだけを持って。
 それは、夜空を漂う寂しい月のように…。

************
 少女時代のシュトパ(・モサモット・シャムスンナハル)は、ある日、突如お見合いの席に出されて子供時代の終わりを告げられる。
 滞りなく結婚式が終われば、家族や故郷、友達にも別れを告げて、彼女は夫の実家で新しい生活を始めねばならなくなった。慣れぬ婚家では、様々な試練を課されながら、完璧な「主婦」を目指さなければならない。しかし、彼女がどれほどのものを犠牲にしてそうなっていくかを知る者は、誰一人としていなかった…。
 ようやくで、ダッカにある夫の自宅で2人暮らしを始めて、息子オプの誕生で幸せな家族になっていく一家だったが、そんな平穏な日もつかの間、予期せぬ出来事が…。


挿入歌 Jaogo Koinya Shwashurbari (行けよ少女、あなたの嫁いだ家へ)

https://www.youtube.com/watch?v=xwOvvG1F7mk


わーい(嬉しい顔) タイトルで併記されている英題は「Her Own Address」。
 ドキュメンタリー出身のプロショーン・ラフマーンによる、初の劇映画監督作。

 静かなバングラデシュの農村の景色から始まる本作は、列車に乗ったシュトパの中に渦巻く様々な思いを、彼女の結婚前後から回想して見せていく女性の一代記であり、バングラデシュ女性の半生を彩る様々な苦難・喜び・悲哀を詩的に静かに綴る映像詩。

 牧歌的な農村での少女時代、婚家での主婦修行時代、夫婦と息子でのダッカでの幸せな時代を順々に回想しつつ、現在のシュトパが1人列車に乗って現実から逃避するように車窓を眺めるやるせなさがその都度挟まれる。
 詩的表現で彼女の心情を語るナレーションが、やや饒舌気味ではあるけれど、1人の女性をめぐる人生の中に見る、人生の虚しさを語る物語は、帰る場所をなくした彼女が最終的にどこへ向かうのかをやや不穏な様子で見つめていく。

 「女は三界に家無し」を地で行く劇中バングラデシュ社会の様子が、どこまでリアルなのかはともかく、結婚によって実家との縁が切れ、夫の死によって収入が断たれ、息子の結婚によって息子と2人で暮らしていた家にすら居場所がなくなるシュトパの惨めさが、だんだんと強化されて行く哀しさは、まさしく生々しい。
 もちろん、彼女の両親も兄弟も、婚家の親戚たちも、息子の妻の家の人々も悪意があるわけではなく、しっかりと結束して彼女の世話を焼こうとするし、サポートを欠かさないように心がけているわけだけど、その態度がすれ違えばすれ違うほど、シュトパのやるせなさが大きくなってしまう哀しさはつくづくもう…。
 親戚を頼るシュトパと息子が、身を寄せた家で「どうすんのよ。あの人たちに食わせるような余計なお金はないんだよ」と夫婦喧嘩されてしまうのを壁越しに聞いていたたまれなくなってしまうとシークエンスは、主演オポルナ・ゴーシュの映画デビュー作「Third Person Singular Number(三人称単数)」とも共鳴する描写。同じ現代女性をめぐる苦境を描く映画というのもあるけれど、「Third Person Singular Number」と類似する要素も結構あるような感じも。

 主人公シュトパの少女期・既婚後・老年期全てを1人で演じたのは、チッタゴン管区ランガマティ県生まれの女優兼モデル オポルナ・ゴーシュ。
 03年から父親が劇団長を務める劇団"ノンディカル"に参加して、舞台演劇とモデル業で活躍。09年の「Third Person Singular Number」で映画デビューし、続く13年の「Mrittika Maya」でナショナル・フィルムアワード助演女優賞を獲得。以降、バングラデシュの広告・TV・映画界で活躍中。15年には、バングラデシュ国内で活躍する女性に贈られるアナンヤ・トップ・テンアワードを授与されてもいる。

 結婚・主婦業・育児・就労・親族との交渉などなど、人生のあらゆるところで密な人間関係が構築されるバングラデシュにおいて、人生のその都度女性たちに課される様々な重圧や行動制限などなどを描く本作。
 「Third Person Singular Number」と違うのは、夫の収監によって行き場を失ってしまった妻の自立と、家族が他人になっていく関係性の変化をテーマにしていた「Third Person Singular Number」に対して、本作は結婚前後から息子の自立までの長い期間の女性の苦労と、その苦労と重圧に対しての世間の関心のなさ、女性自身の人生の虚しさと言う人生物語になっているところか。徐々に疲れた顔に老いて行くシュトパの姿を、そのシーンごとに演じきったオポルナ・ゴーシュの凜とした佇まいも素晴らしきかな。少女期の姿は流石に子供には見えないなあとは思ったものの、まさか全部を1人で演じてるとは思わなんだ。役者ってトンでもね。
 涙の結婚式、労働力としてのみ期待される主婦修行、つかの間の夫との子育ての幸福、寡婦となって親戚から疎まれる疎外感、息子の自立と結婚を喜びながらもより強化されて行く疎外感……その時その時、周りの人々が良かれと思って彼女に与える優しさや具体的な助力、厳しさは、結局は彼女を一次的にしか支えるてくれない虚しさ。ダッカ育ちの息子夫婦が、シュトパの苦労とは異なる苦労を背負ってるとは言え、彼女のうちにわだかまるやるせなさを想像できない楽観性を見せるのは、ある意味では世代を重ねる希望ではあるものの、だからと言ってシュトパ自身にはあまり還元されない哀しさがリアルでなんとも。息子の義母が、シュトパよりもかなり余裕のある生活をしてきたらしい都会人風で、失踪したシュトパのことを心配する子供たちをよそに食っちゃ寝して自分の夫との喧嘩のことしか頭にない態度がまあ、なんとも。
 ドキュメンタリー出身のプロショーン・ラフマーン監督の目線で見るバングラデシュの暮らしの1断面、人生の1側面を静かに、詩的に、冷徹に描く本作が、最後にシュトパを導いた駅をどこに設定していたのか。彼女の求める「帰るべき家」がどこだったのか。答えそのものを、現代社会は持っているのかいないのかも含めて、こちら側にゆだねて突き放す終幕も印象的。




・Sutopar Thikana を一言で斬る!
「バングラデシュでは、結婚した後しばらく夫の実家で過ごすの? 劇中のシュトパはそこで徹底的に主婦修行させられてから、夫の現在の家に2人で落ち着いてたけども(シュトパの時代・地域ではそうだったって事かしらん?)」
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