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2023年03月06日07:00

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ネバー岐阜" アップ市民目線でつづる福島県いわき市旅記

この街はええな。なんにも災害がないでよ。ははは

私が「被災地」と呼ばれる地域に旅する発端となった、岐阜市民の言です

無論、岐阜市民の皆さまの大半は被災地も自分たちの暮らしも繋がって成り立ってることは認識されています

その上で、昨夕私が遭った出来事は、やはり憤り、祈りを新たに動いていかなきゃ!って誓う出来事になった


帰宅する私にしつように付きまとってたおじさん

やむを得ず階段の踊り場で対応した私に容赦なく体を引っ付けてこられたので

「離れてくださいよ!まだ新型コロナウイルスが終息してないんですから」

そう言った私におじさんは放言されました

何がコロナだ!もう終わっとるわ!

そのおじさんはマスクはしてません

さらにはアルコール臭も全身から漂っていました


「終わっとるわ」

無責任と言えば無責任な言動であります

もし、そのことが原因で私が感染しても、おそらくその人はそんなこと知ったことではない、となるのは火を見るよりも明らか

「自分が責任を持てないものに対し、安易に、自分勝手な都合で、さも相手が間違ってるかのような言い方をぶつけてくる」

今まで、どれだけの人がその心の犠牲になったことか!

私には視力障がいがあるけれど、心まで盲目じゃないと思ってます

不幸って「心の盲目」な状態だと私は学ぶ

自分勝手な人は、自分のすてきな個性も、自分の素晴らしさも破壊してるんですね

相手を言い負かしたり、やり負かしたりしてるつもりが、どんどん自分自身を破壊してる

自分自身を破壊しても

そのおじさんが自分自身を破壊しても、私はちっとも嬉しくないよ!


思うの

東日本大震災でも、トルコ・シリア大震災でも、どの災害でも、被災された直後っていうのはプライベートな空間のない避難所での生活を余儀なくされますもんね

すべての人が「相手の気持ちに寄り添える人」ならいいのです。でも果たしてそうじゃなかった場合・・・・・

どれだけの人が被災の苦しみ悲しみ以外の「苦しみ悲しみ」に遭われたことでしょうか


人は誰だって「誰かに助けられていまを生きてる」

「自分も誰かを助けるために命を使える」

そのことを知る人を「大人」と呼ぶんじゃないかなと、私は思う


昨夕、あまりにつらくってこのことをツイートしましたら、おひとり、温かなお心を寄せてくださいました

創価家族の方でした

涙がでた

ありがとうございます
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