ここに来て、自分の体メンテナンスは一段落。
母関係で残るのは遺品整理。
我が家の一階を占拠している母の家具や物の数々。
さて、どうしたものかと頭を悩まして来た。
昭和レトロな人形や玩具や器、着物などの衣類の数々。古い家具。
それでも燃える物は、少しずつ可燃ゴミに出して来た。
それが、先週母の荷物に潰される夢を見てうなされる事態に。
メルカリやリサイクルショップに売れば多少のお金にはなるだろうが。
その前に私の心が崩壊しかねない。
これは、あの人を頼るしかない。
あの人とは、母の引っ越しの時にお願いした便利屋さん。
8年ぶりだが、携帯に残っている電話番号にかけてみた。
すると、直ぐつながった。
あちらも番号が登録されたままだったので、私とわかったとのこと。
当時は大網白里市に住んでいたが、今はあすみが丘の隣町に転居。
家族経営の便利屋をやっているとのこと。
早速事情を話したら、その日に下見に来てくれた。
社長の誠実そうなサラリーマン風な出で立ちは変わらず。
以前の引っ越しで、母の荷物については分かっているので話は早かった。
11月の13,14,15の3日間で搬出することに。
それまで、なるべく私が可燃物をビニール袋に詰めることに。
13日に、ご家族4人で来られた。
前もって私の作ったビニール袋を持ち出し駐車場に置く。
それから、私の立ち会いのもとに家具の中身をどんどん仕分けしていく。
引っ越し当時のまま未開の段ボールが多数。それは衣類や布製品。食器セットの類いも。
全部処分した。
母の残した多数の人形類も処分。
昔の書籍。料理屋で使うのかってくらい多数の調理道具。足踏みミシン。
etc。
1日目で家具や荷物の半分を運び出し。
2日目には、旅館かと思われるくらいの布団と寝具を処分。
2階の6畳の納戸を占拠していた母の荷物も処分。
駐車場の奥に8年置きっぱなし、ブルーシートで被っていた2畳分の荷物も処分。
中身は見ていない。だって8年も置いたままの物は無いのと同じ。
作業は思いの外、順調に進み3日かからず2日で終了した。
タオル、シーツ、カバーの類いだけでも段ボール20箱くらい。
母は使用済みのものも含め、布物全部捨てられなかったのだ。
後で分別が必要な物に至っては、大型ビニール袋50個分。
古い衣類も山のように出て来た。私が中学の家庭科で作ったワンピースまでとってあった。
セットのまま箱に入ったままの食器も多数。一人暮らしで、招く人も居なかったのに。
戦争を経験した世代特有の捨てられない性分は、わかる。
最終的に、母の茶箪笥と食器棚は中身ごと残した。
昭和レトロなダイニングセットも合わせて。
1階はまるで不動産の内見会場みたいになった。
だって、私たちの荷物は何も置かせてもらえなかったから。
本当に私たちの物が無かった。
ゴミの掃除もしてもらいゴミの総量7.5トン、総額30万円だった。
100年生きれば物も増えるだろうが、母の物への執着は異常だった。
父と仲が悪かった母。愛が不足している分物を頼りにしていたのかもしれない。
母は節約家と思っていたが、これだけの量を買った訳だから案外浪費家だったのかも。
自分の終い時にいかに身軽になるか、考えさせられた断捨離だった。
物は有りすぎると、人を攻撃するという。
もうタンスに押し潰される夢は見なくなった。
メデタシメデタシ。
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