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2022年09月14日19:06

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今こそエリザベス女王の「醜い真実」について語るべきだ─ 大英帝国の植民地主義は終わっていない… 英国王の王冠に輝くダイヤは誰のもの?

Mika Maru
1時間前 ·
英国ビクトリア女王2世の
死去で、ただ単に きらびやかさを愛でてる 我が国らしい…
報道洪水…
 王室 皇室…
何故に出来て 栄えたのか?
歴史を鑑みる事も必須では無いでしょうか。
 栄えには 搾取の影がある…
日本も植民地支配主義でした。
 彼等が主導し 戦争を遂行し 負けました。多くの国の人が
傷つき死にました。
皇族なる人は誰一人 責を負いませんでした。
其処から、スタートしました
戦後…。
ワシントン・ポスト、アティア
イギリス ビクトリア女王2世死去に際して 
今こそエリザベス女王の「醜い真実」について語るべきだ─
大英帝国の植民地主義は終わっていない…
英国王の王冠に輝くダイヤは誰のもの?
憲法上、君主は象徴にすぎず、エリザベス女王に責任はなかったという主張もあるだろう。
だが、その「象徴」に大きな意味があると、ワシントン・ポストの アティアは論じる。
「エリザベスは、イギリスの権力と富を代表する役割を進んで引き受けた。
 彼女は旧植民地から盗んだ宝石で自分を飾り立てた。
 エリザベスのイメージは多くの旧植民地の通貨にも描かれている。
 イギリス連邦を管理することで、彼女は進んで旧植民地の
有色人種に対する
『白い母』という上から目線の象徴的役割を引き受けたのである」
英国王の戴冠式で使われる王冠と王笏に輝くダイヤモンドは、1905年に南アフリカで発掘された世界最大のダイヤ原石からカットされたものだ。
植民地支配下にあった南アフリカから当時の英国王エドワード7世への「贈り物」だったとされるが、主従関係のもとで正当な取引が行われたかはわからない。
「紅茶を飲んで握手して成立したのかもしれません。でも、まともな考えを持つ人なら、それが公正な取引だったとは思わないでしょう」と、南アフリカの作家サイホ・フロングウェインはワシントン・ポストに語っている。
南アフリカではいまもイギリスの影響を受けたアパルトヘイト時代の慣行が多く残っており、
貧困率は黒人のほうが圧倒的に高く、
同国の鉱山は大部分が
白人に支配されたままだと、
フロングウェインは指摘する。
「西側諸国では植民地主義は過去のものになっていますが、私たちの国では今も続いているのです」
アニヤの出身国ナイジェリアは、北と南で大きく異なっていたところを、イギリスの支配者がひとつに合併したことによって生まれた。
1967年に内戦が起きると、イギリスは連邦政府を支援し、資金と武器を提供。100万人以上のイボ人が餓死あるいは殺害されたと、歴史家は推定している。
ケニアでは1952〜1960年にかけて民族解放をめざす「マウマウの反乱」が起きたが、イギリス軍はこれを武力で鎮圧。何万人ものケニア人が拷問、レイプ、去勢、殺害され、10万人以上が強制収容所へ送られた。
その時代を生きた祖母をもつ
アリス・ムゴ(34)は、女王の死を受けて米紙「ニューヨーク・タイムズ」にこう語っている。
「イギリスの君主制を、きらびやかなドレスや優雅なハイティー、チャリティー活動といった観点で見ることもできるでしょう。 
でも、そこには醜い側面もあるのです。その醜さから目をそらすことは不誠実と言わざるをえません」
女王が亡くなって間もないなか、せめていまは彼女を悪く言うべきじゃない、礼儀に欠けるという見方もあるだろう。
しかし、ナイジェリア人ジャーナリストのデビッド・ハンデインはこう反論する。
「では、いつならいいのでしょう? 誰がそのタイミングを決めるのですか? 
どの命が他よりも重いか、人間の命の序列を誰が決めるというのですか?」
https://news.yahoo.co.jp/.../57eb089a74061f61c92d33a21fc5...
⇓は
イギリス方 一部が Tweet
拡散していた 画像。
 何処国から むしり取ったか
が解る とする画像…
1人、、「South Africa Stolen from.. India Kenya Egypt Nigeria Barbados Australia Fiji」というテキストの画像のようです



31あなた、かがみ 道子、野村 ジューン、他28人
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